さて、今日は何を話そうか!?

この世の真実にたどり着く為の情報発信ブログ

古代のオーパーツ出雲大社と黒又山とキリストの墓を繋ぐもの・・それはピラミッド‼️🙄

目次

 

古代の不思議は全て宇宙人のしわざ❓な訳無いでしょ

こんにちは~。いつも、当ブログを読んで下さってありがとうございます!では、今回も張り切って参りましょう‼

前回は、大湯環状列石黒又山の謎にせまりました。今回はその続きです。

古代の遺跡についての謎が多いのは、ひとえに支配者層の隠蔽にあるんじゃ無いかと強く感じます。地球の歴史は随分長く、今私達が生きている歴史だけでは無く、過去にも同じ様に人類を含め色んな動植物が生きていた別の歴史があったとしてもおかしく無い。

では、何故、彼らが滅んでいった(居なくなった)のかと言えば、火山の噴火🌋や天変地異などによって滅んだ(もしくは、その一部が何処かへ逃げのびて行った)と考えられませんか❓じゃあ、それが何故起きたのかと言うと、神様が彼らを裁く為に起こしたから・・・って解釈出来る内容が聖書には書かれています。(何をとぼけた事言ってんだという人もいると思いますけど😅"事実は小説より奇なり"です)

地球の自転がいつ止まってもおかしくは無いし、大きな隕石や惑星とぶつかってもおかしくは無いのに、こうして今も地球🌏は健在‼世界各地でオーパーツという謎の物体も多数発見されているのに、誰も答えらしい答えが出ていない!

 

天皇派のプロパガンディストの"はやしひろし"さんは、こういうのを何でも宇宙人👽説にしてますけど・・・🤭

それこそ、不自然な解釈だと思いません❓誰も見た事がない架空の宇宙人より、有史以前に、人類が居たかも知れないと考える方が自然な流れでは無いかと・・・。例えそれを信じる事が出来ても、現代人よりも高度な技術を持っていたと認めたくはないんでしょう。古い時代よりも新しい時代の方が優れていると思うのが普通ですから・・・。ただ、人類史が2つ3つあるとしたら今より高度な技術を持った人類がいたかも知れないと想像出来る人も増えると思います。

その辺を支配者層が注意を反らす為に宇宙人という別の犯人?をでっちあげてメディアや本にして流すんでしょうね。

では、どうして彼らがそんな事をするのかと言うと、全ては自分達の支配が永遠に続く為です。

 

日本のオーパーツ出雲大社

日本にあるオーパーツのひとつとしてあげられるのが出雲大社。その本殿が今よりもっと巨大だったという話。皆さんはご存知でしょうか⁉️
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出雲大社

私も何年か前に行った事がある(当時はクリスチャンじゃ無かったです)んですけど、もともと神社仏閣も博物館も好きじゃ無いのでさっさと通り抜けていたんでしょうね。(飲食店や雑貨屋さんの方が好きだったもんで・・・🤗)で、近くに行ったついでに立ち寄ったから、そんな話にまったく気付かなかったのかも知りませんね😙

昔の出雲大社には伝説の巨大神殿が実在した!!過去の巨大神殿の「柱の数・高さ・造られた由来・歴史」にせまる!! | 出雲大社-御朱印

現在の出雲大社本殿は、高さ24メートル、室内の面積だけで約99平方メートルもある、巨大な木造建築物です。

但し、古代の本殿は高さ48メートルの巨大神殿だったという説があります。

(注:高さ48メートルは17階建てのビルに相当する高さだそうです)

それどころか、96メートルの高さだったという言い伝えもあります

現在の本殿でも、高さ24㍍もあって木造建築物として巨大なのに、さらにもっと巨大で48㍍あったというから驚きです。しかも、もしかしたら、96㍍あったかも・・・って言われたら誰でも「嘘でしょ」って思いますよね。

でも、有史以前に人類史が存在し、その時に高度な技術があったと知らされていれば誰もが納得します。

で、その本殿がどの様なものかというと下記の様な感じ。


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【高さ48㍍の古代神殿】

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古代神殿の柱が発見された時の動画です。

 

 

で、この本殿、過去に6回も倒壊している。

引用

1061年(康平4年)  倒壊

1108年(天仁元年) 倒壊

1109年(天仁2年)  倒壊

1141年(保延7年)  倒壊

1172年(承安2年)  倒壊

1235年(嘉禎元年) 倒壊

1108年と1109年には続けて倒壊(故意に倒された可能性がありますね)。当然、その間も再建築されている訳で・・・。意地でも建ててやるぅ〜って感じですよね。

上記の鳥瞰図(ちょうかんず)にある様に、本殿は二重の結界でとり囲まれていて、参拝者から本殿が見えない作りになっている。普段、八足門(やつあしもん)と楼門(ろうもん)は閉門されていて、正月の三が日のみ八足門を通る事が出来る。それでも参拝者が祭神と対面出来ない仕様だと言う訳です。普通は、祭神と向かいあって参拝するものなのにです。しかも、出雲大社のしめ縄は左右反対についている。その辺の真相を私の先生が謎解きしています。

 

RAPT | 出雲大社とピラミッドの余りに奇妙な共通点。出雲大社は「大国主」を侮辱するために作られたものなのか。

 

ギザのピラミッドはミトラ神殿!

で、先生のブログでは出雲大社の本殿は、ギザのピラミッドの内部にある「大回廊」と全く同じ大きさ、全く同じ形をしていると考察しています。


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【ピラミッドの内部】

しかも、漢字の「高」という字に似ていると・・・。


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【エジプトのピラミッドにある重力軽減の間(発見後、各部屋に名称もつけられた)】

この事から、このエジプトのピラミッドにある"重力軽減の間"は、出雲大社の本殿と同じで、祭神(大国主命=ミトラ)が祀られていたと推測出来ます。その証拠として、他の部屋やトンネル内の壁などは綺麗に整っておらず、この重力軽減の間(その下に王の間)と大回廊辺りは綺麗に整っています。まさに、ピラミッドは神殿であり、その中にある本殿としてふさわしい作りになっていると思います。

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【大回廊と王の間】
王の間の棺に関しては、小さいとか飾りも無く簡素だとか言われている様ですが、これは生け贄を閉じ込める棺だったのではと推測します。だから、ツタンカーメン等の王様の墓と違い装飾も何も無い。マトリョーシカみたいに何重も棺を入れる必要が無いので大きくする必要性が無いですから・・・。


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マトリョーシカ

前回、紹介した縄文ピラミッドと呼ばれるクロマンタ(黒又山)の頂上や階段状とみられる跡地にも同じ様に祭祀跡が遺っている。

現在は、本宮神社(薬師神社)が建てられ祭神が祀られていますが神仏分離されていないのか神社なのに仏教の薬師如来が・・・。(仏教も神道も呼び方が違うだけで同じ神だから問題ないですけど、信者はどう思っているんでしょうか?

 

三内丸山遺跡の大型掘立柱建物もピラミッド神殿かも⁉️

で、この形、他にも何処かで見覚えありませんか❓三内丸山遺跡にある、大型掘立柱(ほったてちゅう)建物跡を復元した建物、あれと同じ。


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【復元した大型掘立柱建物・三内丸山遺跡

下にいる人物と比べると、この建物がいかに巨大建築物か分ると思います。

柱の太さから割り出した高さが20㍍超え。見張り台や祭壇ではないかと言われているそうですが、見張り台にこの様な広い面積は必要ない。また、祭壇であったとしてもそれだけの目的ではないと思いますし、屋根が無いのはハッキリ分からないからだそうですが、最上階にも屋根はあったと思うし、恐らく階段もついていたのではないでしょうか。

この建物は、三内丸山遺跡の集落の「ピラミッド神殿」だったのではと考察します。

 

出雲と東北地方は同じ民族

ところで、皆さんは「ズーズー弁」というのをご存知でしょうか❓

ズーズー弁

一般には東北方言の俗称であるが日本語の方言学では音韻上「し」対「す」、「ち」対「つ」およびその濁音「じ」対「ず」(「ぢ」対「づ」)の区別がない方言を指して使われ、一つ仮名弁(ひとつかなべん)とも言う

上記の様に言われてもピンとこないかも知れませんね😆

例えば、寿司のことを「すし」と言わ(え)ず「すす」。苺のことを「いちご」と言わ(え)ず「いつご」と訛(なま)って発音する事です。(「い」も「え」と訛っているかも・・いちご🍓=「えちご」「いつご」「えつご」「いぢご」)

現代人は、テレビなどの影響でそういう訛りはほぼ無くなっていますが、昔の人はもっと訛っていて外部の人間は何を言ってんだかチンプンカンプンだったと思います。

で、その様な集団の分布図です。
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地図にある緑の部分が、出雲地域と東北、北海道と同じズーズー弁として色分けされています。これを見ると、出雲地域にいた一部の集団が、戦い(と思います)に敗れて東北に渡って行った可能性が高いです。

これを表すのが古事記にある「国譲り」神話。出雲大社が建てられた理由も「国譲り」にあると言われているので、何らかの関係があるのでは・・・。

国譲りのあらすじ

出雲の地は大国主大神が治めていました。
それを見た高天原(天上の神々の国のこと)の天照大御神は、出雲は我が子が治めるべきであると、出雲へ使者達を送ります。

しかし、使者たちは大国主大神を尊敬してしまって仕えたり、娘と結ばれたりと、一向に帰ってきません。

しびれを切らした天照大御神は、武力で解決しようとタケミカヅチとアメノトリフネという二神を送ります。
そして大国主大神の息子と力比べの勝負をして勝利し、出雲の地を譲り受けることに。
大国主大神は「国を譲る代わりに、高天原の御殿のような神殿を建てて欲しい。」と願い、神殿を立てさせました。

 

 

キリストの墓の近くにもピラミッド

さて、黒又山や前回からお話している大湯環状列石に、ほど近い場所にある青森県新郷村に「キリストの里公園」という場所が有るそうです。

 

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そこには、”キリストの墓”が・・・。

 

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【キリストの墓】

案内板を要約すると、

エスキリストは21歳の時日本に渡り12年間神学について修行を重ね、33歳の時ユダヤに帰り神の教えについて伝道を行ったが、当時のユダヤ人はこれを受け入れず、逆に捕らえて十字架に磔刑に処さんとした。しかし、イエスの弟のイスキリが身代わりとなり十字架の露と果てた。キリストは再び日本の地を踏み、戸来村に住居を定めて、106歳の長寿を以て、この地に没したと言うのです。

誰でも分ると思いますが、この伝承は嘘です🤭

エスは、神様の教えを一番よく知っている人物です。わざわざ日本に来なくても神様はどこにでもいる。イエスは、ユダヤ教にあった数々の儀式を止めさせた人物。人類が2000年前の人間よりも成長したので、神様が人間を使用人扱いから子供に格上げしてくれた。なので、動物の犠牲の捧げ物も必要なくなった。

それなのに、何故、儀式ばかりの神道を学ぶ必要があるのか・・・。本物の神様は、義務的形式的な事を嫌うそうです。なので、自分の言葉で真心を込めて祈るのがキリスト教。儀式や呪文だらけの神道とは相反します。

とか何とか言ってますけど、それ以前に、そもそもイエスは裕福では無かったので日本に来る費用が無かったはず。

毎年、6月の第一日曜日に、「キリスト祭」というのが行われているそうです。しかも、全員クリスチャンで無い人達が神道で・・・。


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これは以前から言う様に、ミトラの夏至を祝う祭祀。

さて、キリストの墓から西に約6キロ離れた山中にも、「大石神(おおいしがみ)ピラミッド」というのがあるんだそうです。

そして、ちゃっかりキリストの墓の近くの伝承館の横にもピラミッドが・・・。


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縄文時代の東北には、大きな集落が沢山点在していた様ですね。

では、本日はこの辺で😙