さて、今日は何を話そうか!?

この世の真実にたどり着く為の情報発信ブログ

ツタンカーメンから見えてくるエジプトの姿🤔

こんにちは☺️

前回、「ツタンカーメンの黄金のマスク」等の話をしましたが、何故かこの画像↓


f:id:merkun:20190505143843j:image

アップしたものの、どこの画像なのか忘れてしまいモヤモヤしていました。(チョ〜有名だそうですけど・・・。)そしたら翌日、丁度「ツタンカーメンの秘宝」というタイトルのテレビ📺番組で「ツタンカーメン玉座の椅子」として紹介されていました。

f:id:merkun:20190507145403j:image

「あっ、これこれ」、という訳で椅子💺だったんですね〜。(あ〜、スッキリ!!😙)

最近よくあるんです、名前が出てこない時とかに祈っていると、あとでふいに答えが見つかるって事が・・・。不思議です☺️

で、ついでと言っちゃあ何なんですが、ツタンカーメンの事についてその番組が触れなかった事を伝えようと思います。って言うのか、何回かに分けて放送していたようで、その回では話され無かったのかも知れません。あしからず。

で、この絵の二人は、ツタンカーメンと妻アンケセナーメン

Wikipedia

アクエンアテンとネフェルティティの娘であるアンケセナーメンツタンカーメンの婚姻は異母兄弟姉妹婚と推測されている。年齢差は不明だが、アンケセナーメンは父親との子供を生んだ経験があるということで、7歳くらいツタンカーメンより年上だったと推測されている。 

この様にWikipediaにサラッと書いてありますけど、異母姉弟な訳です。父親が同じなので、姉弟なんですよね。再婚して後妻さんが子供を産んだら姉弟になる訳ですよ。それをイメージするとかなりな近親婚です。しかも、自分の父親の子供も産んでるんですよね。父と子供で、自分たちの娘や姉妹を辱(はずかし)めるとは、まさに鬼畜です。娘や姉妹は、いくら風習といえども嫌だったと思いますが、それに逆らう事も出来ず辛かったと思います。エジプトに生まれなくて良かったぁ。

で、ツタンカーメンの父も姉妹と結婚しているんです。

9歳でファラオの座についたツタンカーメン。その生涯は、杖をついて歩く虚弱なファラオとして20年にも満たない人生を過ごしたと思われます。先祖代々の近親相姦の為、虚弱な身体として生まれて来たんですね。

以前にも書いたと思いますが、ゾロアスター教は何よりも血(血統)を重視する宗教なんです。なので、おのずと近親婚に成らざるを得ない。

エジプトでは、ゾロアスター教という名称ではなかったと思います。ですが、教理はほぼ同じと思います。なので、ゾロアスター教の名前を借りて話していこうと思います。

で、その教えの一つに、亡くなると王族は天国へ、庶民は地獄へ行くとされていたのもゾロアスター教と同じ。そんなつまらない理屈で天国へ行けるはずが無い事くらい現代人なら分かると思います。

ところが、今でも、身分の高い人達はそう信じていると思います。先祖代々の宗教を変える事はなかなか出来ないです。特に、権力者と宗教は切っても切れない仲なんですよ。そういった意味では、かなり洗脳されていると思います。

政治と宗教は切り離さないといけないと言われていますが、古代から人類は宗教と二人三脚でやってきました。何故なら支配者は、その権力を逃すまいとあの手この手の手段を駆使しないと権力を保持出来ないからです。

例えば、呪術、祈祷、カバラ陰陽道(陰陽師(おんみょうじ)で有名です。敵を倒す為、お互いに陰陽師を使って呪うという様なことをしていたようです)、宗教とは違いますが、スプーン曲げで有名なユリ・ゲラー(最近の若い人は知らないかも知れませんね😱)もCIA(米国中央情報局)が機密文書を公開した中にユリ・ゲラーに関する実験文書が含まれていた事は記憶に新しい。

f:id:merkun:20190506224612j:image

彼の超能力(らしきもの)に目をつけ諜報活動に役立てようとしたのかも知れません。メディアを買収して利用するのも常套手段です。最近のメディアは、かなり偏向報道をしています。これから、さらに酷くなる様な気がしますね。

そう言う訳で、彼ら権力者にとって宗教は、なくてはならないものとなっています。日本の皇室も象徴と言いつつ、国の税金で宗教行事もやっているし、元号も存在しています。政治の表舞台を降りただけで、あとは何ら変わっていない様に思います。安倍首相も鹿児島高野山最福寺 住職、池口恵観(いけぐち えかん)という、北朝鮮暴力団とつながりのある様な怪しい僧侶に指南を受けたりしていたそうです。

f:id:merkun:20190507231447j:image

このように権力者達は、ありとあらゆるものを使って権力の保持に努めています。CIAって国の組織だから、個人の権力者とは関係ないと思う人もいるかも知れませんが、アメリカも毎度お馴染みの権力者達しか政治家になれません(日本も同じ)。言いかえれば、すでに国民のものでは無くて一部の権力者達のものとなってしまっているのも同然なんです。民主主義とは名ばかりで、結局、立候補出来るのはいつもの顔ぶれ😑

で、アンケセナーメンの話の続きですが、実父との子供を生んだ経験がある、という事は、言いかえると、生んだけど今はその子は(亡くなって)この世に居ないという事ですよね。ゾロアスター教の教理に、近親婚はもちろんの事、女性は、まず実父の子供を産みその子を生け贄として殺す、とあります。おそらく、その通りの事が行われたんだと想像出来ます。

私達は、実際見る事は出来ませんが、結果と教理を知る事により理論立てて推理する事が出来ます。なので、妻アンケセナーメンはその教えを実行したと考えられます。

まともな神様なら、そんな異常な行為をさせるはずは無いですよね。ですが、その様にして悪魔は人類に罪を起こさせるんです。それにしてもおぞましいですね、娘を孕(はら)ませるとは・・・。

次に、「ツタンカーメン玉座の椅子」の前面左右にライオンの飾りがついていますね。これは、ライオンの頭を持つセクメトという神だと思います。

f:id:merkun:20190506234439j:image【セクメト】

ラーの片目(右目とも左目とも)から生まれ、ライオンの頭を持つ。頭頂に赤い円盤を載せており真昼の太陽の灼熱を表現している。破壊神、復讐者であり、王の守護神とされる。

このセクメトの神話ですが、

エジプト最強の破壊の女神セクメトの大虐殺

 セクメト女神は「雌ライオンの頭を持つ、美しい女性の姿」という、エジプトの神話においてはさして珍しくもない外見でした。ただ一点異なるのは、セクメトという存在が「神に敬意を持たない人間たちを皆殺しにするため、太陽神ラーによって意図的に創られた破壊神」ということです。

 創造主であるラーは、セクメトに対して早速「世界中の人間を皆殺しにせよ」と命令します。元々そのためだけに、かつ太陽神の手で創造されたセクメトは非常に強く、ライオンの牙と鋭い爪でもって、地上の人間を手当たり次第に虐殺して回りました。

 セクメトが地上に降り立ってからというもの、人間は強大な神の力を前に為す術もなく次々に殺され、大地は血で真っ赤に染まり、セクメトは殺したての人間の亡骸から生き血をすすり続けます

 このように、セクメトはラーの命令通り、毎日欠かさず大量の人間を殺し続けました。やがて生きている人間の方が少なくなり、人類は滅亡の危機に陥るのです。エジプトの一部の砂漠が赤いのは、セクメトが殺した人間の大量の血が染み込んでいるため、という伝承もあるほどです。

このセクメト、ヒンドゥー教ドゥルガーと似ていますね。

merkun.hatenablog.com

誰よりも強く、狂暴で残虐。「恐るべき戦いの神」と言われ、昔、人間が生贄にされたこともあったということや、虎🐯もしくはライオンに乗っていたという事からして、同じ神と思います。

次に、刻まれているツタンカーメンの名前の文字についてですが、椅子の前面と背後の名前が違っているそうです。文字が削り取られた痕があるそうで・・・。

これが謎になっているらしいですけど、当時、神官が王権を脅かすほどの勢いがあったとの事。父アクエンアテン(アメンホテプ4世)が、それに対し宗教改革を行うがツタンカーメンの代に元の宗教に戻ったとされる。

Wikipedia

アメン(アモン、テーベの町の守護神)を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことをアメンホテプ4世が嫌い、宗教的権力を王権と一本化することを狙ったと考えられる。前者の理由が一般的だが、アメンホテプ4世自身がアテンを称える詩を執筆している等、単なる政治的理由だけでは説明のつかない事も多く、後者の理由も大きかった事がうかがえる。

で、その答えが前回の黄金のマスクの額にある蛇形記章(ウラエウス)で分かるんではないかと思います。

エジプト全土統一に際して、上エジプトの守護神で白いハゲワシの姿で描かれるネクベトもウアジェトを表す蛇形記章と共にファラオの王冠に追加されるようになり、ファラオが上下エジプトの支配者であることを表した。それぞれの信仰が深かったため、それらを習合することができなかった。そのためこの2柱の女神を「2人の貴婦人 (The Two Ladies)」と呼び、統一エジプトの共同守護神とした

神官側の信仰神と王族側の信仰神の争いの結果がその蛇形記章(ウラエウス)に表されていると記述されています。引き分けって事で両方のシンボルマークを額につけましたね。だから、椅子にも同じ様に細工したのでは無いかと思われます。

王族側の印はウアジェト、神官側の印はネクベトで表されているんでしょう。で、今までこの世で争いが起きていたのは、実は、これが原因でまだ決着がついていないから世界の各地で起きていたのかも知れません。

さらに、もう一つ謎な物があるんです。


f:id:merkun:20190507145324j:image

ツタンカーメンの短剣

ツタンカーメンの墓で発見された短剣が、隕石を素材としていたとする調査結果が発表された。古代エジプト人はこの空から落ちてきた金属に大きな価値を見出しており、「空の鉱物」と読める象形文字も使っていたという。さやなどは黄金でできている。短剣の長さは34.2cm。

この短剣、知っていましたか?私、知りませんでした😋作られてから3,300年以上経った今でも、このナイフには錆がまったく出ていないらしいです。そこが、凄いと思うんですが、色々な記事を調べても落ちて来た隕石から作ったので凄いとかイマイチどうでもいい様な答えしかありませんでした。これも、ひとつのオーパーツだと思います。いずれ、その話題を記事にしたいと思います。

では、本日はこの辺で😙

 

 

 

天皇家はエジプトからやってきた🧐

こんにちは☺️

今回は、前回の続きから・・・。

前回は、天皇家は、モーセイスラエル民族を奴隷から解放してエジプトを脱出させた時について来た人達とお話しました。

その後も日本に来るまで色んな国を転々としてきたようですが、当時は現代のようにパスポート等必要ないし、シルクロード等を通って色んな人種が行き来していたようです。

で、天皇家がエジプトからついて来たという証拠ですが、前々回の記事で天皇家は太陽神を拝んでいました。太陽神といえば、個人的にはエジプトのラーを一番に思い出します。子供の頃に見たテレビ番組で、人間の生け贄を捧げる残酷なシーンを今でもおぼろげに覚えているからなんですよね。

現在では、その様な事がなかったかのような風潮でテレビ等では放送されませんが、人類の負の部分を忘れないようにしないといけないと思います。でないと、正しいものを見つける事が出来ませんから・・・☺️

で、このエジプトとの共通点ですけど、髪型を見てください。

 

f:id:merkun:20190501125252j:plain
f:id:merkun:20190501125319j:plain
ツタンカーメン王  黄金のマスク 前後

エジプトのツタンカーメンがつけていた黄金のマスクの前後の画像です。

ウアジェトを表すコブラとネクベトを表す白いハゲワシから成る蛇形記章が額にあり、上下エジプトの統一を表しています。

蛇形記章は女神ウアジェトの象徴である。ウアジェトはエジプト神話の中でも最古の神の1つで、コブラとして描かれることが多い。

(中略)

蛇形記章をつけていることはファラオであることと同義であり、蛇形記章が支配者であることの合法性を示している。

(中略)

エジプト全土統一に際して、上エジプトの守護神で白いハゲワシの姿で描かれるネクベトもウアジェトを表す蛇形記章と共にファラオの王冠に追加されるようになり、ファラオが上下エジプトの支配者であることを表した。それぞれの信仰が深かったため、それらを習合することができなかった。そのためこの2柱の女神を「2人の貴婦人 (The Two Ladies)」と呼び、統一エジプトの共同守護神とした。

下の画像の左は、平安時代の貴族の髪型「おすべらかし」と言います。お雛様の髪型をイメージしてもらうとよくわかりますね。お雛様の後ろがこのようになっています。

f:id:merkun:20190502215005j:image
f:id:merkun:20190501125350j:plain
「おすべらかし」という髪型とコブラ

本大垂髪(おすべらかし、または、おおすべらかし)とは、平安時代貴族女性の髪形。

本来は自然のままに髪を垂らした姿を言うが、肩の辺りで髪を絵元結(えもとゆい)で結んでその先を等間隔に水引で束ねていく「元結掛け垂髪」が「おすべらかし」と呼ばれるものであった。江戸時代初期までは概ねこの形であり、公家階級女子の成人式や宮中の儀式の際には奈良時代の結髪(けっぱつ)の風習の名残で、前髪を上げて(もとどり)を作り櫛などを挿していた。 

どうですか?ツタンカーメンのマスクの形によく似ています。前も似ているし、後ろも長さは違いますが、似たような髪型です。現在でも身分の高いとされる皇族が正式な式典の時などにこの髪型をしていますね
で、この髪型、コブラの形とも似ています。エジプトのウアジェトを表す蛇形記章

と同じ意味を持っていると思います。つまり、王妃、王族という意味です。

では、次、行ってみよう!


f:id:merkun:20190502194519j:image

これは、大阪府堺市にある大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)。昔は、仁徳天皇陵と言われていましたが、現在は大仙陵古墳と呼ばれているそうです。昔、私はこの近くに住んでまして、よく自転車でその前を通っておりました。

で、このあたりは「百舌鳥(もず)古墳群」と呼ばれていて古墳が沢山あるんですよ。その古墳の配置がエジプトのピラミッドと同じなんです。

f:id:merkun:20190502212451j:image
しかも、この配置、オリオン座と同じです。どうやらオリオン座を元にピラミッドや古墳が作られたようです。しかも、この2つの遺跡は、100%、位置などが重なるそうです。これは、ある意味オーパーツと言ってもいいと思います。

オーパーツは、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品を指す。英語の「out-of-place artifacts」を略して「OOPARTS」とした語で、つまり「場違いな工芸品」という意味である。

何故こんなにピッタリと合わせて作る事が出来たのかは、やはり古代の歴史にあると思います。それは、別の機会にとりあげますね。

で、このピラミッドは、エジプトのクフ王の墓という事らしいですので、クフ王天皇家も同じ宗教だという事です。やはり、天皇家の宗教はユダヤ教で無い事が分かります。

以前にも書きしたが、

旧約聖書 申命記 -  4 章19

 あなたはまた目を上げて天を望み、日、月、星すなわちすべて天の万象を見、誘惑されてそれを拝み、それに仕えてはならない。それらのものは、あなたの神、主が全天下の万民に分けられたものである。

創造主ヤハウェが作ったものを拝むのではなく、創造主を拝む事が大事なんです。当たり前ですよね。ご飯🍚を作った嫁さんに感謝せず、ご飯🍚に感謝している様なもんですから・・・。今までのブログで分かった様に天皇家の宗教はゾロアスター教でしたから・・・。そのゾロアスター教もエジプトと繋がっていたんですね。さらに、他にも繋がっているようです。それも又、別の機会に取り上げたいと思います。

では、次はこれ!
f:id:merkun:20190503091932j:image
このショッキングピンクで囲まれたところを見て下さい。リングに羽の様なものがついています。これは、王権の象徴を表しているそうです。
f:id:merkun:20190503092104j:imageペルセポリスにのこされたプラヴァシの像】
ゾロアスター教のプラヴァシ(フラワシ)の像にもリングとその下に羽の様なものがついています。
で、さっきの大仙陵古墳

f:id:merkun:20190503092650j:image

同じ様な形になっていますね。

 

f:id:merkun:20190503114244j:plain
f:id:merkun:20190503114301j:plain
アンク十字

「アンク」と呼ばれていて円形の取っ手の付いた十字の事を指します。「生命」を意味するヒエログリフで、 神の標識。エジプト十字(エジプトじゅうじ)とも呼ばれる。 

その意味が、アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができると信じられていて、現世(此岸)と来世(彼岸)の間にある「境界」を無事に超えるための、通行証だと信じられているそうです。(「境界」を超えて、来世に渡ることができれば「復活」できる。)

これらも、古墳とよく似ています。と言うか同じでしょう。古墳に込められた意味もこのアンクの意味を知る事で分かります。

最後に、この画像を見て下さい。

f:id:merkun:20190503120234j:image

ロータスの皿」と呼ばれる古代エジプトで作られた金の皿です。王族の墓から出てきたそうですよ。皇室の紋章と同じですね。同族だという証しです。

では、本日はこの辺で☺️

 

日本人🗾がイスラエル民族の血を引いてるという証拠はエジプトにあった🤓

こんにちは😙

前回は、久保有政さんと言う人が聖書解説者であり、牧師もされたプロテスタントのクリスチャンであるにもかかわらず、「天皇家イスラエル民族の末裔だ」という説まではまだいいとして、「神道天皇制はなくてはならない」と言う彼の持論を述べた本📖を紹介しました。

クリスチャンにとって、神様が唯一無二の王であり、その他の王の存在はあり得ないんです。二股はあり得ない。人を畏(おそ)れるより神を畏れなさいという言葉もあるくらいです。

人間社会が作ったルールは、神様の叡智に比べたら遥かに劣る、神霊的な考えでもの事を考えないと救いの道から外れる事を忘れていらっしゃるようでした。

旧約時代に、イスラエルの民が預言者のサムエルのところに来て、「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」と王制を要求しました。(預言者は、当時、神様の御使いとしてイスラエル民族の指導者でした)彼らは、神がイスラエルの真の王であるという事実が見えなくなっていました。

神はサムエルに次のように語っています。

サムエル記上  8 章  7-8

主はサムエルに言われた、「民が、すべてあなたに言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。
 彼らは、わたしがエジプトから連れ上った日から、きょうまで、わたしを捨ててほかの神々に仕え、さまざまの事をわたしにしたように、あなたにもしているのである。

神様は、「彼らの言うようにやらせなさい」と預言者のサムエルに言います。

彼らはエジプトで400年の間奴隷となり、虐(しいた)げられて苦しんでいたのを神様がモーセを使わせて脱出させてあげたのに、神様に感謝するどころか、よその神を拝み、さらに神様以外の王様を立ててくれと何処までも神様を足蹴にしていたんです。

と、いう訳で躓(つまず)かないと分からないイスラエルの民に王制を許し、躓いて神様の有り難みを味わって来いと言う訳です。

サムエルが、神様に代わってイスラエルの民に、自分のたちの為の都合の良い王は存在しない事、又、自分たちの為に立てた(はずの)王は、他の国の王のように「専制君主」となって、民は王の為の奴隷になるよ、と警告しますが彼らはそれを無視します。

結局、神様が言ったように、民が王の奴隷となり歴史が示す通りに成ります。

バビロン捕囚という事件が起こり70年間イスラエル民族は捕虜として囚われの身となりました。それによって、守ってくれるのは神様だけなのを彼らはやっと気がついたんです(その時は・・・)。

で、こう言う教えが聖書に書いてあるのに、久保さんは悟ってないんだなぁと感じました😔

ところで、前回取り上げた久保さんの本📕に、天皇家は失われたイスラエル民族の一末裔ではないかと彼が言っていました。(最後のオチはちょっと違うと思いますけど、)イスラエル民族と何かしらの関係がある事は事実と思います。(もちろん、天皇家が関係あるのなら日本の国民も関係ある事は言うまでもありません)

と言う事で、今回は、日本人がイスラエルの末裔と思われる理由を検証して行きたいと思います。

イスラエルでは、過ぎ越し祭というのがあって、日本のお正月でするような風習とよく似ています。

過ぎ越し祭

古代エジプトでアビブ(ニサン)の月に起こったとされる出来事に起源を持つ。エジプトの地で奴隷になっていたイスラエルの民が、モーゼの先導でパレスチナの地に脱出した故事を記念する(祭日)。ユダヤ人にとって、秋の仮庵(かりいお)の祭 (Sukkoth) などと並ぶ重要な祭日。 

アビブの月とはイスラエルの暦で1月のことです。エジプト脱出は民族の歴史の始まりであり、新しい1年の始まりでもあったのです。

この日を記念して、過ぎ越し祭をするように聖書に書かれています。

旧約聖書 出エジプト記 12章

2 この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。

6 そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり
7 その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。

14 この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。
15 七日の間あなたがたは種入れぬパンを食べなければならないその初めの日に家からパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までに、種を入れたパンを食べる人はみなイスラエルから断たれるであろう。

日本でも、年の始めの1月にお正月を祝います。

7の「小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。」と書かれているように、日本の風習で似たものに、お正月に飾る門松としめ縄があります。最近は、飾らない家も増えましたね・・・。しめ縄は、蛇🐍の交合を表すらしいです。天皇家の崇拝する宗教のものに入れ替えたんでしょう。(神社には、ユダヤ教由来のものもあったり無かったり。さらに、ヒンドゥー教由来のものやゾロアスター教由来のものも混じっている様です)

パン種を入れぬパンとは、発酵していないパンの事で、日本にはパンがないから、お餅をこの発酵しないパン代わりに食べた可能性が高いです。しかも、正月7日間の間お餅を食べる風習もあります。日本に渡って来る間に、色んな国の人と混血したので食も変化したんでしょう。日本人がイスラエル民族の血を引いているとは言え、純粋なユダヤ人は存在しないですから・・・。

旧約聖書 出エジプト記 12章

17 あなたがたは、種入れぬパンの祭を守らなければならない。ちょうど、この日、わたしがあなたがたの軍勢をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、あなたがたは代々、永久の定めとして、その日を守らなければならない。

神道に取って代わられて、正月の7日間、発酵しない餅を食べるという風習は残ったけれど、それにどう言う意味があるのかは忘れさられてしまったんですね。

で、さらに興味深いのは、天皇家は何処からやって来たのか❓という謎です。

このページの上の方の聖書の1節に、「彼らは、わたしがエジプトから連れ上った日から、きょうまで、わたしを捨ててほかの神々に仕え・・・(サムエル記上  8 章 )」と書きましたが、そこに答えが載っています。

イスラエルの民は、エジプトで奴隷生活をする前までは、神様ヤハウェに不信仰であった事も多々ありましたが、他の神を拝むという行為はありませんでした。

しかし、エジプトを脱出してからは、わざわざ金の鋳物(いもの)の仔牛まで作ってしつこく他の神を拝んだんです。要は、エジプトを脱出した時に、異教を拝む者達も一緒について来たんですねぇ。(400年間もエジプトにいましたから・・・)それは誰なのかと言うと天皇家です🤓

この天皇家がエジプトからやって来たという事が解れば、日本人の祖先がモーセに助けられたイスラエル民族の末裔だった事がはっきりします。

次回は、天皇家とエジプトとの関係を考察していこうと思います。

では、本日はこの辺で😙

 

天皇家のルーツを調べると、日本人のルーツも分かる⁉️😙

こんにちは☺️

図書館で気になる題の本📖を見つけたので借りてみました。やっぱり図書館の本は、ちょっと古い💦(新しいのもあるんですけどね・・・古い記事を見たい時は便利です😄)

まっ、ちょいと古いと思ったけど、何が書いてあるんだろうと思ったので読む事に・・・。タダだし・・・。

まずは、本の紹介から。

f:id:merkun:20190419163259j:image【日本の中のユダヤ文化】

という題名の本📖で、久保有政さんという日本のキリスト教プロテスタント系の聖書解説家が書かれました。もう、随分前に書かれた内容ですが、今でも彼の言っている説が、彼を含め色んな所で講演されているようです。

私としては、「ウ~ン、ちょっと違う」と思うような内容もチラホラある様に思います。

本の内容を簡単に紹介しますと、旧約聖書に書いてある、「神様に祝福されたイスラエル民族は何処へ行ったのか?」というのが大きなテーマになっていて、元々イスラエル民族は12支族あり、そのうちの10支族の行方がわからなくなっていると言われていて、彼の調べた所、そのうちの1支族が日本の天皇家ではないかと推測した話になっています。

そういう訳で、天皇家が1支族だという証拠らしいものをとりあげながら解説しています。

それと同時に、ダビデ王やイエスが生まれたユダ族と思われるから、天皇家は特別な人達である、という論調で語られています。だから、「敬いなさい」というか「日本になくてはならない階級の人達だ」とでも言いた気な事が書かれています。

日本の文化とは何かと言えば、筆者は真っ先に神道天皇制をあげる。
これらは、日本のアイデンティティーを形成している。日本人から神道天皇制を取ったら、いったい何が残るだろうか。他の民族と区別されるようなものは、ほとんど何も残らないのではないか。

と言うような事を書いているんですが、なんだか時代錯誤な感じがしますね。今の若い人達は、皇室に対して可もなく不可もないという程度の感覚しかないと思います。

だから、イスラエル民族の末裔かも知れないと分かっても、「凄い、末裔だったんだぁ」で終わりと思います。それに、そもそも皇室が末裔なら、私達日本人も末裔だと思いません❓日本の文化や風習はイスラエル民族と似ているし、言葉もヘブル語(イスラエルの言語)と日本語は似ているそうです。

だから、"皇室が末裔"と言うよりも"日本人が末裔"だと言うべきなんですが、著者は皇室に限定しているんです。

そこが、私としては腑に落ち無いところなんですけどね・・・。日本の風習や文化が似ている事をあげて皇室だけが末裔かも知れないと言うような解釈の仕方はどうかと思うんです。なので、著者は、皇室のプロパガンダなのかと疑いたくなりますよね。

最近も、この著者だけで無く何かにつけて皇室をヨイショして、それがまた大げさな感じでやっているので逆に奇妙な感じに思えます。

例えば、4月19日の朝日新聞の朝刊にこんな記事がありました。

f:id:merkun:20190419234348j:plain

 

選挙みたいに世論調査は、いらんと思うんですけど・・・😣

何かにつけて天皇を称賛する人達を「天皇教」と上手いこと言っている人がいましたが、特に褒めそやすような事でもないのに、大袈裟に称賛しすぎる人達が目立つなぁと感じます。天皇が歩く所の後ろで旗振ってる人達は、ほぼ神社本庁日本会議生長の家の人達です。でも、黙っていれば、普通の国民が旗を振っているのかなぁと勘違いします。マスコミもそこには触れないし・・・。

明治になって天皇中心の帝国主義に変わった途端、数々の戦争が起きました。国民の多くが、彼らの犠牲になって、行きたくもない戦争に行かされ亡くなりました。

まだ、二十歳やそこらの若い人達です。今と昔は違うけど、先人達の気持ちを思うと、称賛するような場面じゃないのに称賛し過ぎるのは考えものだと思うんです。と思っていたら、同じ日に報道の自由度日本は67位の記事が・・・。

f:id:merkun:20190419234407j:plain報道の自由度日本は67位の記事】

記事の内容

(中略)

メディアの多様性は尊重されているものの、沖縄の米軍基地など「非愛国的な話題」を取材するジャーナリストがSNSで攻撃を受けていると指摘した。

とあります。

例えば皇室の場合、称賛するのは大いに結構、批判するとすぐ愛国心マークを付けた人に取り囲まれそうです。だから、批判する記事は出せない。そういう意味で、かなり偏った報道になっていると感じます。まっ、世界で一番の金持ちは、天皇一族と言われていますから・・・。いかようにもマスコミを操縦出来ます。

話が、飛んでしまいましたね😋

で、クリスチャンでない方は、キリスト教ユダヤ教の違いが分かりませんよね。キリスト教ユダヤ教の大きな違いは、イエス・キリスト(救世主)が現れたかそうでないかの違い。つまり、イエスを救世主と認めたキリスト教と認めないユダヤ教

ユダヤ教は、およそ2000年前にイエスが現れた時に、彼の事を救世主と認めなかった。だから、ユダヤ教を信じる人達の所には今だにキリスト(救世主)が現れていない。(使用する聖書も、ユダヤ教旧約聖書キリスト教旧約聖書新約聖書(=イエスの事が書かれています)が基本の書物です)

で、本の中で、皇室がイスラエル民族のユダ族の末裔とする説の理由として、面白い話を書いているので紹介します。

古代イスラエルの民が、神様(ヤハウェ)に背信して異教の神を拝んだりしていたんです。それでその異教の信仰をする人達が太陽神に馬を捧げる風習があったんですけど、それについての話です。もちろん太陽神とは神様(ヤハウェ)ではありません。

(文中より)

皇室も古くから連綿と続けているらしく、伊勢神宮の宮の入り口付近に太陽神アマテラスに捧げられた馬があります。神馬(しんめ)と呼ばれ、古来から太陽神に献納してきた。その馬は、すでに奈良時代にはあって、皇室に古くから伝わる風習だという。


f:id:merkun:20190422133725j:image伊勢神宮の神馬(しんめ)】

調べたところ、伊勢神宮の白い馬(神馬=しんめ)は外宮(げぐう)と内宮(ないぐう)にそれぞれ2頭いるらしいです。名前まであるそうですよ。

で、皇室は古代イスラエルの民がカナン人達のやっていた異教信仰を真似て、古代から異教信仰をしていたんです。もちろん現代も馬がいるから継続しているようです。

しかし、ユダヤ教キリスト教は、異教の神を拝んではいけないんです。神様は唯一ですから・・・。人間同士の場合でも、二股をされたり浮気されたりしたら誰だって嫌ですからね。それだけで無く自分達の救いも捨てる事になるので、それが恐ろしいのに気付かないんです。

その時代の王様は、ヨシヤ王といって神様に忠実でその悪い風習や偶像等全てを焼き払って取り除いた王様です。でも、ヨシヤ王が死んだ後に四人の王が登場しますが、エジプトとバビロンという強国の狭間で、ただ揺れ動いて、やがては沈没していく運命のユダ王国となっていったのでした。そして、とうとうバビロン捕囚というのが起こり、イスラエル民族は70年間囚われの身となったんです。

で、ヨシヤ王の先祖、ダビデという王様も神様に忠実で、ヨシヤ王はダビデ王と同じくらい神様に忠実な王様でした。

旧約聖書 列王記下  章 22 1-2

 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年の間、世を治めた。母はボヅカテのアダヤの娘で、名をエデダといった。
 ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。

このヨシヤ王は、国民が異教の神を拝んだり、モレク(バアル)に子供を生け贄として捧げたり、ありとあらゆる悪を行っている事に気付き、神様が怒(いか)っているのを知って、正す為にそれらを取り除いて大規模な宗教改革をしたんです。

旧約聖書 列王記下  章 23 10-12

 王はまた、だれもそのむすこ娘を火に焼いて、モレクにささげ物とすることのないように、ベンヒンノムの谷にあるトペテを汚した。

(トペテという場所で生け贄儀式とかしていたんでしょうね、そこを破壊したという事です)

 またユダの王たちが太陽にささげて主の宮の門に置いた馬を、境内にある侍従ナタンメレクのへやのかたわらに移し、太陽の車を火で焼いた。
また王はユダの王たちがアハズの高殿の屋上に造った祭壇と、マナセが主の宮の二つの庭に造った祭壇とをこわして、それを打ち砕き、砕けたものをキデロン川に投げすてた。

この様にして、悪なるものを排除していったんです。馬は主の宮の門からどけられて、太陽の車というのは焼き払われたんです。

こう書かれているにも関わらず、皇室は神馬と言って取り除くどころか捧げているんですよね。いくら、似た所があるとしても、ちょっとね・・・。

皇室にはユダヤ教の名残は見受けられる。だから、イスラエル民族の末裔かも知れないという事は言えるかも知れない。だけど、それで皇室が特別な存在という結論にはならない。(私達日本人だって末裔になる訳だし・・・)

その特別か特別でないという違いを著者は、さらに血筋とか先祖代々続いているからという理由で言っているんですけど、見た目や形じゃないんです。

著者は聖書解説家でありキリスト教のクリスチャンだから、人間社会のものさしで判断するのはおかしいんです。(そもそも皇室が背信しているのに気付かないのもなんなんですけど・・・😔)

クリスチャンは、こういう場合、信仰という物差しで判断しないと駄目なんです。ところが、牧師や上に立つ人でありながらズレた人も多いんですよね。そこが今のキリスト教の大きな問題かなと思うんです。私もこの様なズレを最初は分からなかったんですけど、信仰の先生の指摘で理解出来る様になりました。

クリスチャンは「神が王である」という信仰があるはずで、そういう信仰をしているのに、神様以外の王が必要だとかなくてはならないって考えはまず浮かばないはずなんですけど・・・。

なので、皇室のプロパガンダみたいな話もすべきではないんです。

キリスト教のクリスチャンなのに、神道がなくなっては駄目だとかも書いてありますが、本当に貴方クリスチャンなんですか❓って聞きたいですね。

今までの著者の話、彼が神道に改宗してるんだったら解るんですけど・・・。

では、本日はこの辺で🤗

 

 

ところで、ゾロアスター教ってどんな宗教なの❓🤔

こんにちは😙

前回は、聖徳太子秦河勝(はたかわかつ)であり、秦一族の宗教はゾロアスター教(神社仏閣と一緒に混ぜて拝んでいました)の影響を受けた宗教だった、という話をしました。そういう訳で、ゾロアスター教の影響を、神道密教も受けている事が分かりました。密教では拝火教である護摩焚きの修行がある事から影響を受けている事が分かり、神道では、建物の作られ方や舞楽などで推測出来ました。

何故、神道と仏教に分かれてしまったのかは、明治の神仏分離令だけのせいでは無く、おそらく祀っている神の違いによるものと思われます。

厳島神社秘仏は弁財天、ヒンドゥー教ではサラスヴァティーペルシャではアナーヒター、バビロニアではイシュタルギリシャではアフロディーテと同一神と言われています。(変身し過ぎです😑)人類の救いを願うものであれば、一つの名前で十分ですよね。この様に複雑にして、サタンは人類を惑わすんです。

イシュタルは、旧約聖書でいうアシュトレトにあたる。カナンのアスタルテやシリア女神のアタルガディスにも起源を同じくする。

(アシュタロテ=アスタルテ=アシュタルテ皆同じ)ややこしいですね😣

f:id:merkun:20190416163451j:image【カナンの土着の宗教】

旧約聖書で、カナン人が崇拝していた神にバアルとアシュタロテ(アスタルテ)が出てきます。

表より、弁財天はアスタルテであり、バアルの妻だったんですね。そしてそのバアルは、ヒンドゥー教ではシヴァ神だからその妻のアスタルテはカーリーという事になります。

フェニキアにおけるアスタルテ

フェニキアにおいては世界の真の統治者であり、古い世界を破壊しては新しい世界を創造する死と再生の女神だったとされる。また、インドのカーリーとも同一視され、カーリーのような姿のアスタルテの刻像が見つかっている。Wikipedia

ただ、ヒンドゥー教では、アスタルテはサラスヴァティーとされていて、その性格は穏やかとされている。なので、カーリーと同一の扱いにはなっていないのでこの辺が引っかかりますが、福の神貧乏神の話にあるように善神っぽい部分だけを取り上げてサラスヴァティーと名付けているのかも知れません。

merkun.hatenablog.com

なので、怒(いか)るとサラスヴァティーもカーリーの性質に変化するのかも知れません。

バビロニアのイシュタルの記述にしても、優しいふりをして、かなり残酷な面があります。

イシュタル

美しくも残忍な野心家

イシュタルは全てを手に入れなければ気が済まない野心家だが、愛情が冷めてしまえばその後の扱いは酷いものだった。

(中略)

人間に対しても同様で、泣かせたり動物に変えたりという汚行を繰り返してきた。とある牧人には子どもを供物として殺させ、最後には牧人自身を狼に変えたという逸話もある。また、自身の誘惑を撥ね退けた者に対する残酷さは群を抜いていた。

と、あります。

そういう様なところからだと思いますが、旧約聖書におけるアシュトレト(アスタルト)が、後にヨーロッパのグリモワール(魔術書)において悪魔・アスタロトとされたそうです。Wikipedia

一方、四天王寺のほうは牛王尊(ごおうそん)という神を祀っています。

f:id:merkun:20190416171002j:image【牛王尊】

これも、牛と関係する社(やしろ)なので、牛頭天王(=シヴァ神=バアル)なんでしょう。

ところで、ゾロアスター教はインドに7万人も信者がいるというのに、あまり詳しい事が分からない宗教だそうです。

というのも、

本来古代のイラン世界では文字は音声を物質化した賎(いや)しむべきものと見なされていたようで、古代からの伝承は神官(マギ)などが口伝によって代々受継がれていくものとされていたという。(サーサーン朝)

説明によると、秦一族はゾロアスター教の神官(マギ)達だった様です。しかもペルシャでは文字にして残す事をあえてしない文化だった。建築、機織り、灌漑(かんがい)技術など全て口伝で伝えられて来たという訳ですね。

さて、ゾロアスター教の教理とはどんな教えなのでしょうか❓

その中でも際立っているのが、彼らの一番の教えであるクワェード・ダフ(フヴァエトヴァダタ)。

フヴァエトヴァダタ(Xᵛaētuuadaθa)は、ゾロアスター教聖典『アヴェスター』に記された最近親婚(二親等内の近親同士による結婚)のこと。パフラヴィー語でクワェード・ダフ(Xwēdōdah)とも呼ばれる。ゾロアスター教で最も徳のある行為の一つとされている。

ゾロアスター教では「善思・善語・善行」の三徳だけでは、最上の天国には行けず、最近親婚により、それが成就されると説かれている。実際に、ゾロアスター教を国教としていたペルシア帝国の王家では最近親婚がなされていた。現在行われているかどうかについては不明な点が多く、特にインドのゾロアスター教徒イスラムに囲まれて立場を弱くせざるをえないイランのゾロアスター教徒と比較してその財力も相まって閉鎖性が強く、拝火神殿内に異教徒を入れないため、分からない所が多い。

となっています。

つまり、どれだけ善を行なっても天国にいけない。親子又は兄妹姉弟間と性的な関係にならないと天国に行けないという教えらしい。

Wikipedia

聖典『アヴェスター』のヤスナ第12章には信仰告白として善神アフラ・マズダーを祀ることと共に最近親婚に従うことが記されており、諸々の教法(ダエーナー)の中で「最大にして最勝かつ最美なるもの」と表現されている。 

(中略)

ペルシアでは家族の性的な結びつきが神聖視されており、中世ペルシア語では最近親婚はフヴェトゥクダスと呼ばれ、近親性交のある男女の体液には薬効があると信じられていた。

どれだけ異質な宗教か分かると思います。今はどうか分かりませんけど、古代の様におおっぴらに言える事ではないので水面下に隠れて見えないだけなのかも知れません。

日本の天皇家もいとこ婚は当たり前、古代はもっと近親婚を繰り返していたようです。

参考 

ここで見ていただきたいのが斉明天皇から始まる桓武天皇までの、皇族の家系図である。仏教に帰依した聖武天皇以外ほとんどの天皇が近親婚を繰り返しているのに気がつくはずである。(Wikiより引用)


f:id:merkun:20190415212702j:image

ちなみに、あの自動車メーカーのマツダ。MatsudaなのにMazdaとツをズに変えています。

「マツダ」の由来と意味は?
社名「マツダ」は、西アジアの文明の発祥とともに誕生した神、アフラ・マズダー(Ahura Mazda)に由来します。
マズダーを東西文明の源泉的シンボルかつ、自動車文明の始原的シンボルとして捉え、また世界平和を希求し自動車産業の光明となることを願って名付けられました。

また、マツダの創業者でもある松田重次郎氏の姓にもちなんでいます。

と言う事らしい。マツダの創業者はゾロアスター教徒でしょうか⁉️

で、結局、ヒンドゥー教ゾロアスター教も異常とも言える性癖とでも言ったらいいんでしょうかね、それを重視する宗教という点で似ています。

まぁ、どっちにしても、こう言う教えが聖なるものとはかけ離れている事が分かると思います。こんな事で天国にいけるとも思いませんし、そもそも、天国にそんな奴おらんやろ〜😑

ゾロアスター教も善と悪の二元論を謳っていますが、キリスト教の二元論とは大きくかけ離れたものとなっています。

人間は自由意志をもち、善(アシャ)か悪(ダエーワ)を選択出来る。例えば、嘘をつかずに、真実を話せばそれは悪ではなく善を選択という事になるそうです。誰もが善と悪を選択する自由を持っている。参考

意味、分かります❓要するに、悪い事をしても素直に話せば善とみなされるって事です。これって、素直に白状すれば、どれも善い行いになるって事ですよね。確信犯が増えますねぇ。しかも、善い行いが多ければ天国へ、悪い行いが多ければ地獄へ行くそうです。

この屁理屈ないい訳を使えば、どんなに悪い行いでも素直に白状してしまえば、善い行いばかりになり誰も地獄に落ちる人はいなくなる。こんなんで、救われる訳がないですね。
で、この宗教は、鳥葬が有名らしくて、これも変な意味があって、

人は死後の息を終えると不純なものになるとされています。

二元論に基づけば「生」は神の業であって、「死」は悪の業だと考えられているそうです。そして、死後、体は不浄な雄牛の尿で洗われ見せしめの為に放置される。

その後、伝統的に遺体は「沈黙の塔」に置かれ猛禽類の餌となる。現在では、火葬や土葬に代わりつつあります。参考

ゾロアスター教において、聖なる火で死体を焼くことはタブー。母なる大地が与えてくれた「水・風・火」といったものを神聖なものと捉えている。だから、鳥葬という形になったんだそう。


f:id:merkun:20190418164718j:image【沈黙の塔の構造】

インドのゾロアスター教では、今も鳥葬をやっているそうです。

沈黙の塔の説明

各塔には、ある共通した構造がある。石のブロックによって円筒形に建てられた塔の内部は、すり鉢状に緩い勾配がつけられており、外側から中心にかけて、男性、女性、子供の遺体を並べる為に3つのレーンが階段状に設けられている。遺体が置かれる床面には、雨水や遺体から流れる体液を下に流す為の溝が掘られており、鳥に肉を食われ白骨化した遺体は中心の穴に投げ込まれるようになるという構造だ。(ちょっと、キモいのでこれ以上はやめておきますね)

いくら遺体だといってもそういう扱いをするのはちょっとやめてよ、と思うけど、悪魔教だと理解すれば逆に納得出来る。とことん人類を憎んでいますからね。

では、本日はこの辺で😄

 

で、聖徳太子が信仰していた宗教とは・・・❓🧐

こんにちは☺️

早速、前回の話の続きとまいりましょう😙

前回は、聖徳太子秦河勝ではないかとお話ししました。

それは何故か❓秦一族は、財力と土木技術をいかして、灌漑(かんがい)や大規模な土木工事、神社建設、養蚕、機織り、文化、芸術に関する事など日本の発展に貢献した様です。古墳も作ったらしいですよ🤓

にもかかわらず、京都市太秦(うずまさ)にある広隆寺は、聖徳太子を祀っていますが、秦一族を栄えさせた自分達の長は祀っていない。太子を祀り、一族の功労者を祀らないのはどう考えてもおかしいです。そういう理由で太子と河勝は同一人物では、と解釈した訳です。同一人物なら太子を祀るだけで済みますからね。

ちなみに、太秦という地名の由来は、聖徳太子の「太」+秦氏の「秦」を合わせた当て字です。そういう訳で、灯台下暗しだったのかも知れません。

で、人物がややこしいので聖徳太子の名で話を続けます。

聖徳太子が創建したという大阪府にある四天王寺。ここは、かつて海に面した場所に建てられていたようです。西の入り口はお寺なのに大鳥居があり、真っ直ぐ進むと奥に極楽門と呼ばれる西門があります。



f:id:merkun:20190412092300j:image

f:id:merkun:20190411095940j:plain
四天王寺の大鳥居(奥に西門が見える)と舞楽

西門が極楽門と呼ばれるのは、西方の浄土を思って日が没する様子を見詰める「日想観」という西門信仰の聖地として、古くから信仰をあつめる場所となっているんだそうです。

四天王寺は、本来は北向きに建てられています。寺としては北を向いて拝み、神社としては西の方を向いて山でもなく本殿でもなく海の方を向いて拝むという感じなのでしょうか。聖霊会という聖徳太子の命日の行事に舞楽も行われ、神仏分離以降もこの部分は神社の名残をとどめているようです。なので、神仏折衷な聖霊会になっています。

で、これって広島にある厳島(いつくしま)神社とそっくりなんです。海に面し、舞楽までよく似ている。

f:id:merkun:20190410154159j:plain
f:id:merkun:20190411095222j:plain
厳島神社

厳島神社舞楽ペルシャ風。同じ信仰だという事です。

前回、安閑(あんかん)天皇陵古墳から出て来たペルシャ椀がササン朝ペルシャのものでした。当時のペルシャの国教はゾロアスター教との事です。(どうやら秦氏と共にやって来たのがゾロアスター教のようですね)

四天王寺舞楽の衣装に羽が付いています。これは、ゾロアスター教最高神アフラ・マズダーを意味しているんではないですかね。
f:id:merkun:20190412101800j:imageゾロアスター教のマーク】

厳島神社のそばにある大願寺に「弁財天(べんざいてん)」を秘仏として祀ってるんです(神仏分離令によって厳島神社から遷(うつ)されたようですね)。

弁財天は、ヒンドゥー教ではサラスヴァティーがそれに当たります。弁財天なんだから、神社に置いておいてもいいと思いますが、あえて寺に置き見せられないもの(秘仏)として隠すのには、何か意味があるのかなとも思います。これまでの知識として、性的系なのかペルシャ風過ぎるのかどっちかなのかもですね。

そして、そのゾロアスター教はインドにも渡り"パールシー(インドに住むゾロアスター教の信者という意味)"としてボンベイ(ムンバイ)を主たる拠点にし、信徒数7万5千人いると言われています。

まっ、地理的に近いですしシルクロードを通ってインドに伝わったようですね。

アーリア人

広義のアーリア人の内、北インド諸民族のほとんどがインド・アーリア人を祖先に持つものであり、それ以外の上述されている民族はイラン・アーリア人を祖先に持つ。ただし、北インドのアーリア系民族の中にもパールシーなどのように、イラン・アーリア人を祖先とする民族もある。パールシーはサーサーン朝のペルシア帝国滅亡後にインドに移ってきたゾロアスター教を信奉する古代ペルシア人の子孫である。

インドもゾロアスター教が入って来たからには、ヒンドゥー教もその前身のバラモン教を経由して影響を受けている様です。教義が似通っていますからね。そう言う訳でヒンドゥー教の影響を受けている仏教もゾロアスター教の影響を受けています。

で、四天王寺は寺であり神社でもある。ゾロアスター教を持ってきた秦氏は、中国を経由し、そこから日本に渡って来た。一方、空海が持って来た密教は、ゾロアスター教がインドに渡りヒンドゥー教として変化し、さらに仏教になり中国を経由して日本に渡って来たというルートで伝来したのではないでしょうか⁉️

結局は、ルートが途中で分かれ少し変化して渡って来ただけで、元は同じものを持っている訳だから共存出来るんですね。

ゾロアスター教

世界最古の預言者といわれるザラスシュトラゾロアスターツァラトストラ)が開祖。

ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。光(善)の象徴としての純粋な「火」(アータル、アヴェスター語: ātar)を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全寺院には、ザラスシュトラが点火したといわれる火が絶えることなく燃え続けており、寺院内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。

と、まあこう書かれていますが、分かったような分からないような結局何なのかサッパリ分かりませんね。まず、色んな宗教に詳しくないとその違いが分からない。しかも、知っていると思っていてもじっくり考えないとその意味は分からない🤓

まず、火🔥を尊ぶ拝火教とは火を拝む訳だから、それが偶像に当たります。密教護摩焚き、オリンピックの「聖火」、お盆の「送り火」、仏像の「後光」、カトリックが書いた背に光輝いている絵の数々。参考

どれも拝火教でしょうね。

参考としたブログの方の考察に、ちょっと誤解されている部分があるようなのでひと言。

この絵画です。

f:id:merkun:20190412150026j:imageイエス・キリストの復活の絵画】

この絵画を見て、キリスト教ゾロアスター教の影響を受けていると勘違いされています。(残念‼️おしいけど、ちょっと違うんですね☺️)

偶像や絵画を作り、拝んだり飾ったりしているのはカトリック系のキリスト教です。(カトリックプロテスタントで比較しています。その他のキリスト教まではちょっと分かりません)

聖書の教えには、この様な事をするのはいけない(罪だ)と書かれています。なので、カトリックがどんどんおかしくなっている事に気付いたマルティン・ルター達 を中心に宗教改革が起こり、カトリックから離れてプロテスタントという宗派が誕生しました。そのプロテスタントの派ばつも、今ではたくさん存在する様です。

知らない人は、キリスト教は皆同じだと考えているみたいですね。(私も数年前までは、皆同じと思ってました☺️)

以前から言っていますが、カトリックキリスト教の看板を掲げていますが、中身は悪魔教に変質しています。何故、潰れないかと言えば権力の中枢にいるからなんです。

ジャニーズの不祥事が、事務所の手によってもみ消す事が出来るから、重大な事件でも騒ぎにならないのと同じ様な構造です。事務所が強ければ、マスコミを黙らせる事は意外に簡単なんです😒世の中ってもんは、お金と権力を使って黙らせる人達が幅を利かせている。一般人が思う以上に堕落しきった世界になってしまっているんです。すでに、ノアの箱舟の時代と同じ様な世界になっている状態だと思っても過言じゃないかと言えます。そう言う意味では大変な世界になってしまいました😔

で、話を戻して、偶像崇拝とは作った偶像だけの事をいうのでは無いんですよ。

例えば、アイドルなんかでも偶像崇拝になりうるし、お金に向かって礼拝するのも偶像崇拝になったりする。継続してそのものを崇拝し、礼拝する行為は偶像崇拝になりうる。だから、偶像崇拝はしていないと言えないんですよね〜。

では、本日はこの辺で☺️次回へ続く。

 

聖徳太子はいたの❓それともいなかったの❓🧐

こんにちは〜☺️

前回は、聖徳太子一族が暗殺されていたと言う話と、その復讐劇が大化の改新だと思われる事をお伝えしました。昔だからと言っても、どっちの勢力も残忍ですね😓

しかも、聖徳太子が外国人だった事も・・・。習ってないよ〜💦

しかし、渡来人の秦氏とかも日本にやって来ている訳だし、近年、九州の対馬日韓トンネルを作ろうという計画があるくらいだから、大陸との距離は私達が想像するよりも近い。なので、当時は、色んな人種が来ていたかも知れませんね。言わないだけで・・・。

で、聖徳太子のおじいちゃんの兄弟に安閑(あんかん)天皇という人物がいまして、


f:id:merkun:20190405233518j:image[聖徳太子系図]

大阪の羽曳野市にその安閑天皇陵古墳があります。そこから出土されたものの中に下の様なガラス椀が発見されています。


f:id:merkun:20190405234425j:image

ガラス椀/羽曳野市

このガラス椀、ササン朝ペルシア(224~651年)のものだそうで、ここでは、6世紀頃のものではないかと説明にあります。こんなものがあるというのは、太子の家系はペルシャ人であった可能性も高いですね。

安閑天皇は、466年? -536年1月25日?頃に生きていた人で、しかもこの天皇、531年2月7日 - 535年12月17日と4年程しか在位していません。どうやら、太子のおじいちゃんの兄弟同士で争いがあった様です😱

政治に関わるような家系は、何かと争いが耐えないもんです。腹違いの兄弟はザラにいるし、近親婚もザラにあります。敵方からも政略結婚の為、嫁に行ったり貰ったり、何かとややこしい家系になっています。

で、前回取り上げた、歴史教科書に載せる聖徳太子改め厩戸王(うまやどのおう)に格下げしようとする動き(提案)は、現代の蘇我氏側の子孫による報復の可能性も充分にあり得ますね🧐

皆サタンを拝んでいるから嫉妬深くなるし、執念深くなる。地位欲、名誉欲、金銭欲が強くなるので決着がつくまで永遠に終わらない事が予想出来るからです。

現代でも政治家とか、有名企業に就職すると研修と称して高野山に行って僧侶から説教を聞かされたり、禅寺に行って座禅をさせられるところもあると聞きます。

良い行ないも悪い行ないも肯定し、二重人格を助長する様な教えは、悪魔崇拝の本質(手段を選ばず何でもありですからね・・・)。そういう教えを下手に会得(えとく)すると、ズルをしてもすぐに許されるという安易な考えに陥りやすく、悪人になるしかない人間を作ってしまいます。(欲望のまま短絡的に考えたり、お金で動く人もいるからね)

ちなみに、サタンは執念深くて、嫉妬深いんです。ストーカーと同じタイプなのでそれをイメージしたら何となく分かると思います。

だから、神様が人間を愛するのを見て、それに嫉妬し、その仲を引き裂くまで執拗(しつよう)に妨害するそうです。

サタンにとって日本は、その意味では上手くいった国だと思います。仏教を国教にした事で、何だかんだ言ってもキリスト教は、よその国の宗教だと誰もが信じて疑わないですから・・・。

サタンの人類への嫉妬は、この世にサタンがいる限り終わらない。(だから、サタンの滅びを祈ってますよ☺️一応、クリスチャンなもんで・・・)

話が、だいぶそれてしまいましたね💦

ところで、聖徳太子の本名は厩戸王(うまやどのおう)っていいますが、その名のつけられたいきさつを皆さんは知っているでしょうか⁉️ここで簡単におさらいを・・・。

厩戸王の生誕話

母親の皇后である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が懐姙し、出産した日にどうしていたかというと、役所を巡って仕事ぶりをみて回っていた。馬官のところへ来たときすぐに、厩(うまや)の戸に当たって難なく出産した。そこから、厩戸皇子という名前となった。

又、聖徳太子には不思議な力があったとされている。生まれてすぐに言葉を発し、幼少の頃にすでに国内外の学問を修め高僧の域に達した天才児だった。1度に10人の人の話を聞くことができ、馬に乗って空を飛び富士山の頂上に登ったという。

この話、イエス・キリストの生誕とちょっと似ています。っていうか明らかに匂わせていますよね。

一方、側近の秦河勝(はたかわかつ)は、

生誕 不明
死没 不明

6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団で、そのルーツは秦の始皇帝ともいう。河勝は秦氏の族長的人物であったとされる。

(中略)

秦氏景教ネストリウス派キリスト教)を信仰するユダヤ人一族であったとする説を発表した。秦一族が渡来する6世紀以前に既に唐に東方キリスト教の「景教」が伝わっており、その寺院は大秦寺と呼ばれていたためである。ただしユダヤ人と他民族の同祖説は世界中に多数あり、遺伝子学的に否定されていることから、これは学会の通説とはなっていない。 

上記の様に、キリスト教の事について彼らは知っていたんでしょう。しかも聖徳太子は、一族の希望の星として生まれたんではないですかね。だから、メシア(救世主)の話をパクって語り継がれてきたんだと思います。お札💴にもなるくらいですから・・・。

秦河勝聖徳太子と共に行った業績の数々は、主に彼がやったのではないですかね。

それに、秦河勝の生誕と死没が分かっていません。彼も秦氏の族長的な人物ですし、そうであれば死没した日ぐらいはわかるはず。それが不詳になっている。一方で、「聖徳太子は存在しないのでは」と噂されたりもしています。なので、本当は秦河勝自身が聖徳太子だったのではと思います。

秦一族は、神社仏閣の建設や農機具、数々の色んな技術を持っていました。その腕をかわれて一族がのし上がってきたと言われています。

秦河勝自身が聖徳太子であれば、太子の伝説にある1度に10人の人の話を聞くことができる、というのも可能かと思います。実際は、10人の相談事を素早く解決出来る能力と技術を持っていたという事でしょうけど・・・。

先程の「ペルシャ椀」、色んな場所で見つかっていて、福岡県の沖ノ島

宗像大社(むなかたたいしゃ)でも見つかっています。

f:id:merkun:20190408205442j:image福岡・宗像大社:宝物8点公開 沖ノ島の世界遺産見通しで[写真特集8/8]- 毎日新聞

これらのペルシャ製品は、秦一族が持ち込んだものではないでしょうか。それは同時に秦一族が来た証拠でもあるんではないですかね。

彼らは、ペルシャ人でシルクロードを渡って来た。途中、敦煌(とんこう)も通るので、その時の絵を聖徳太子の自画像として取り入れた。ルーツは秦の始皇帝とあるので、中国を経由して日本にやって来たんでしょう。

聖徳太子が建てたとされる法隆寺。その一画に手水舎があります。


f:id:merkun:20190408132136j:image聖霊院前の手水舎】

全体がペルシャポット風になっています。

そして、京都市右京区太秦(うずまさ)にある広隆寺という秦氏の氏寺には、聖徳太子が神として祀られています。

これは、秦河勝自身が聖徳太子だったからという事じゃないですか🤓

では、本日はこの辺で😙