さて、今日は何を話そうか!?

この世の真実にたどり着く為の情報発信ブログ

天皇家のルーツを調べると、日本人のルーツも分かる⁉️😙

こんにちは☺️

図書館で気になる題の本📖を見つけたので借りてみました。やっぱり図書館の本は、ちょっと古い💦(新しいのもあるんですけどね・・・古い記事を見たい時は便利です😄)

まっ、ちょいと古いと思ったけど、何が書いてあるんだろうと思ったので読む事に・・・。タダだし・・・。

まずは、本の紹介から。

f:id:merkun:20190419163259j:image【日本の中のユダヤ文化】

という題名の本📖で、久保有政さんという日本のキリスト教プロテスタント系の聖書解説家が書かれました。もう、随分前に書かれた内容ですが、今でも彼の言っている説が、彼を含め色んな所で講演されているようです。

私としては、「ウ~ン、ちょっと違う」と思うような内容もチラホラある様に思います。

本の内容を簡単に紹介しますと、旧約聖書に書いてある、「神様に祝福されたイスラエル民族は何処へ行ったのか?」というのが大きなテーマになっていて、元々イスラエル民族は12支族あり、そのうちの10支族の行方がわからなくなっていると言われていて、彼の調べた所、そのうちの1支族が日本の天皇家ではないかと推測した話になっています。

そういう訳で、天皇家が1支族だという証拠らしいものをとりあげながら解説しています。

それと同時に、ダビデ王やイエスが生まれたユダ族と思われるから、天皇家は特別な人達である、という論調で語られています。だから、「敬いなさい」というか「日本になくてはならない階級の人達だ」とでも言いた気な事が書かれています。

日本の文化とは何かと言えば、筆者は真っ先に神道天皇制をあげる。
これらは、日本のアイデンティティーを形成している。日本人から神道天皇制を取ったら、いったい何が残るだろうか。他の民族と区別されるようなものは、ほとんど何も残らないのではないか。

と言うような事を書いているんですが、なんだか時代錯誤な感じがしますね。今の若い人達は、皇室に対して可もなく不可もないという程度の感覚しかないと思います。

だから、イスラエル民族の末裔かも知れないと分かっても、「凄い、末裔だったんだぁ」で終わりと思います。それに、そもそも皇室が末裔なら、私達日本人も末裔だと思いません❓日本の文化や風習はイスラエル民族と似ているし、言葉もヘブル語(イスラエルの言語)と日本語は似ているそうです。

だから、"皇室が末裔"と言うよりも"日本人が末裔"だと言うべきなんですが、著者は皇室に限定しているんです。

そこが、私としては腑に落ち無いところなんですけどね・・・。日本の風習や文化が似ている事をあげて皇室だけが末裔かも知れないと言うような解釈の仕方はどうかと思うんです。なので、著者は、皇室のプロパガンダなのかと疑いたくなりますよね。

最近も、この著者だけで無く何かにつけて皇室をヨイショして、それがまた大げさな感じでやっているので逆に奇妙な感じに思えます。

例えば、4月19日の朝日新聞の朝刊にこんな記事がありました。

f:id:merkun:20190419234348j:plain

 

選挙みたいに世論調査は、いらんと思うんですけど・・・😣

何かにつけて天皇を称賛する人達を「天皇教」と上手いこと言っている人がいましたが、特に褒めそやすような事でもないのに、大袈裟に称賛しすぎる人達が目立つなぁと感じます。天皇が歩く所の後ろで旗振ってる人達は、ほぼ神社本庁日本会議生長の家の人達です。でも、黙っていれば、普通の国民が旗を振っているのかなぁと勘違いします。マスコミもそこには触れないし・・・。

明治になって天皇中心の帝国主義に変わった途端、数々の戦争が起きました。国民の多くが、彼らの犠牲になって、行きたくもない戦争に行かされ亡くなりました。

まだ、二十歳やそこらの若い人達です。今と昔は違うけど、先人達の気持ちを思うと、称賛するような場面じゃないのに称賛し過ぎるのは考えものだと思うんです。と思っていたら、同じ日に報道の自由度日本は67位の記事が・・・。

f:id:merkun:20190419234407j:plain報道の自由度日本は67位の記事】

記事の内容

(中略)

メディアの多様性は尊重されているものの、沖縄の米軍基地など「非愛国的な話題」を取材するジャーナリストがSNSで攻撃を受けていると指摘した。

とあります。

例えば皇室の場合、称賛するのは大いに結構、批判するとすぐ愛国心マークを付けた人に取り囲まれそうです。だから、批判する記事は出せない。そういう意味で、かなり偏った報道になっていると感じます。まっ、世界で一番の金持ちは、天皇一族と言われていますから・・・。いかようにもマスコミを操縦出来ます。

話が、飛んでしまいましたね😋

で、クリスチャンでない方は、キリスト教ユダヤ教の違いが分かりませんよね。キリスト教ユダヤ教の大きな違いは、イエス・キリスト(救世主)が現れたかそうでないかの違い。つまり、イエスを救世主と認めたキリスト教と認めないユダヤ教

ユダヤ教は、およそ2000年前にイエスが現れた時に、彼の事を救世主と認めなかった。だから、ユダヤ教を信じる人達の所には今だにキリスト(救世主)が現れていない。(使用する聖書も、ユダヤ教旧約聖書キリスト教旧約聖書新約聖書(=イエスの事が書かれています)が基本の書物です)

で、本の中で、皇室がイスラエル民族のユダ族の末裔とする説の理由として、面白い話を書いているので紹介します。

古代イスラエルの民が、神様(ヤハウェ)に背信して異教の神を拝んだりしていたんです。それでその異教の信仰をする人達が太陽神に馬を捧げる風習があったんですけど、それについての話です。もちろん太陽神とは神様(ヤハウェ)ではありません。

(文中より)

皇室も古くから連綿と続けているらしく、伊勢神宮の宮の入り口付近に太陽神アマテラスに捧げられた馬があります。神馬(しんめ)と呼ばれ、古来から太陽神に献納してきた。その馬は、すでに奈良時代にはあって、皇室に古くから伝わる風習だという。


f:id:merkun:20190422133725j:image伊勢神宮の神馬(しんめ)】

調べたところ、伊勢神宮の白い馬(神馬=しんめ)は外宮(げぐう)と内宮(ないぐう)にそれぞれ2頭いるらしいです。名前まであるそうですよ。

で、皇室は古代イスラエルの民がカナン人達のやっていた異教信仰を真似て、古代から異教信仰をしていたんです。もちろん現代も馬がいるから継続しているようです。

しかし、ユダヤ教キリスト教は、異教の神を拝んではいけないんです。神様は唯一ですから・・・。人間同士の場合でも、二股をされたり浮気されたりしたら誰だって嫌ですからね。それだけで無く自分達の救いも捨てる事になるので、それが恐ろしいのに気付かないんです。

その時代の王様は、ヨシヤ王といって神様に忠実でその悪い風習や偶像等全てを焼き払って取り除いた王様です。でも、ヨシヤ王が死んだ後に四人の王が登場しますが、エジプトとバビロンという強国の狭間で、ただ揺れ動いて、やがては沈没していく運命のユダ王国となっていったのでした。そして、とうとうバビロン捕囚というのが起こり、イスラエル民族は70年間囚われの身となったんです。

で、ヨシヤ王の先祖、ダビデという王様も神様に忠実で、ヨシヤ王はダビデ王と同じくらい神様に忠実な王様でした。

旧約聖書 列王記下  章 22 1-2

 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年の間、世を治めた。母はボヅカテのアダヤの娘で、名をエデダといった。
 ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。

このヨシヤ王は、国民が異教の神を拝んだり、モレク(バアル)に子供を生け贄として捧げたり、ありとあらゆる悪を行っている事に気付き、神様が怒(いか)っているのを知って、正す為にそれらを取り除いて大規模な宗教改革をしたんです。

旧約聖書 列王記下  章 23 10-12

 王はまた、だれもそのむすこ娘を火に焼いて、モレクにささげ物とすることのないように、ベンヒンノムの谷にあるトペテを汚した。

(トペテという場所で生け贄儀式とかしていたんでしょうね、そこを破壊したという事です)

 またユダの王たちが太陽にささげて主の宮の門に置いた馬を、境内にある侍従ナタンメレクのへやのかたわらに移し、太陽の車を火で焼いた。
また王はユダの王たちがアハズの高殿の屋上に造った祭壇と、マナセが主の宮の二つの庭に造った祭壇とをこわして、それを打ち砕き、砕けたものをキデロン川に投げすてた。

この様にして、悪なるものを排除していったんです。馬は主の宮の門からどけられて、太陽の車というのは焼き払われたんです。

こう書かれているにも関わらず、皇室は神馬と言って取り除くどころか捧げているんですよね。いくら、似た所があるとしても、ちょっとね・・・。

皇室にはユダヤ教の名残は見受けられる。だから、イスラエル民族の末裔かも知れないという事は言えるかも知れない。だけど、それで皇室が特別な存在という結論にはならない。(私達日本人だって末裔になる訳だし・・・)

その特別か特別でないという違いを著者は、さらに血筋とか先祖代々続いているからという理由で言っているんですけど、見た目や形じゃないんです。

著者は聖書解説家でありキリスト教のクリスチャンだから、人間社会のものさしで判断するのはおかしいんです。(そもそも皇室が背信しているのに気付かないのもなんなんですけど・・・😔)

クリスチャンは、こういう場合、信仰という物差しで判断しないと駄目なんです。ところが、牧師や上に立つ人でありながらズレた人も多いんですよね。そこが今のキリスト教の大きな問題かなと思うんです。私もこの様なズレを最初は分からなかったんですけど、信仰の先生の指摘で理解出来る様になりました。

クリスチャンは「神が王である」という信仰があるはずで、そういう信仰をしているのに、神様以外の王が必要だとかなくてはならないって考えはまず浮かばないはずなんですけど・・・。

なので、皇室のプロパガンダみたいな話もすべきではないんです。

キリスト教のクリスチャンなのに、神道がなくなっては駄目だとかも書いてありますが、本当に貴方クリスチャンなんですか❓って聞きたいですね。

今までの著者の話、彼が神道に改宗してるんだったら解るんですけど・・・。

では、本日はこの辺で🤗