聖徳太子はいたの❓それともいなかったの❓🧐

こんにちは〜☺️

前回は、聖徳太子一族が暗殺されていたと言う話と、その復讐劇が大化の改新だと思われる事をお伝えしました。昔だからと言っても、どっちの勢力も残忍ですね😓

しかも、聖徳太子が外国人だった事も・・・。習ってないよ〜💦

しかし、渡来人の秦氏とかも日本にやって来ている訳だし、近年、九州の対馬日韓トンネルを作ろうという計画があるくらいだから、大陸との距離は私達が想像するよりも近い。なので、当時は、色んな人種が来ていたかも知れませんね。言わないだけで・・・。

で、聖徳太子のおじいちゃんの兄弟に安閑(あんかん)天皇という人物がいまして、


f:id:merkun:20190405233518j:image[聖徳太子系図]

大阪の羽曳野市にその安閑天皇陵古墳があります。そこから出土されたものの中に下の様なガラス椀が発見されています。


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ガラス椀/羽曳野市

このガラス椀、ササン朝ペルシア(224~651年)のものだそうで、ここでは、6世紀頃のものではないかと説明にあります。こんなものがあるというのは、太子の家系はペルシャ人であった可能性も高いですね。

安閑天皇は、466年? -536年1月25日?頃に生きていた人で、しかもこの天皇、531年2月7日 - 535年12月17日と4年程しか在位していません。どうやら、太子のおじいちゃんの兄弟同士で争いがあった様です😱

政治に関わるような家系は、何かと争いが耐えないもんです。腹違いの兄弟はザラにいるし、近親婚もザラにあります。敵方からも政略結婚の為、嫁に行ったり貰ったり、何かとややこしい家系になっています。

で、前回取り上げた、歴史教科書に載せる聖徳太子改め厩戸王(うまやどのおう)に格下げしようとする動き(提案)は、現代の蘇我氏側の子孫による報復の可能性も充分にあり得ますね🧐

皆サタンを拝んでいるから嫉妬深くなるし、執念深くなる。地位欲、名誉欲、金銭欲が強くなるので決着がつくまで永遠に終わらない事が予想出来るからです。

現代でも政治家とか、有名企業に就職すると研修と称して高野山に行って僧侶から説教を聞かされたり、禅寺に行って座禅をさせられるところもあると聞きます。

良い行ないも悪い行ないも肯定し、二重人格を助長する様な教えは、悪魔崇拝の本質(手段を選ばず何でもありですからね・・・)。そういう教えを下手に会得(えとく)すると、ズルをしてもすぐに許されるという安易な考えに陥りやすく、悪人になるしかない人間を作ってしまいます。(欲望のまま短絡的に考えたり、お金で動く人もいるからね)

ちなみに、サタンは執念深くて、嫉妬深いんです。ストーカーと同じタイプなのでそれをイメージしたら何となく分かると思います。

だから、神様が人間を愛するのを見て、それに嫉妬し、その仲を引き裂くまで執拗(しつよう)に妨害するそうです。

サタンにとって日本は、その意味では上手くいった国だと思います。仏教を国教にした事で、何だかんだ言ってもキリスト教は、よその国の宗教だと誰もが信じて疑わないですから・・・。

サタンの人類への嫉妬は、この世にサタンがいる限り終わらない。(だから、サタンの滅びを祈ってますよ☺️一応、クリスチャンなもんで・・・)

話が、だいぶそれてしまいましたね💦

ところで、聖徳太子の本名は厩戸王(うまやどのおう)っていいますが、その名のつけられたいきさつを皆さんは知っているでしょうか⁉️ここで簡単におさらいを・・・。

厩戸王の生誕話

母親の皇后である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が懐姙し、出産した日にどうしていたかというと、役所を巡って仕事ぶりをみて回っていた。馬官のところへ来たときすぐに、厩(うまや)の戸に当たって難なく出産した。そこから、厩戸皇子という名前となった。

又、聖徳太子には不思議な力があったとされている。生まれてすぐに言葉を発し、幼少の頃にすでに国内外の学問を修め高僧の域に達した天才児だった。1度に10人の人の話を聞くことができ、馬に乗って空を飛び富士山の頂上に登ったという。

この話、イエス・キリストの生誕とちょっと似ています。っていうか明らかに匂わせていますよね。

一方、側近の秦河勝(はたかわかつ)は、

生誕 不明
死没 不明

6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団で、そのルーツは秦の始皇帝ともいう。河勝は秦氏の族長的人物であったとされる。

(中略)

秦氏景教ネストリウス派キリスト教)を信仰するユダヤ人一族であったとする説を発表した。秦一族が渡来する6世紀以前に既に唐に東方キリスト教の「景教」が伝わっており、その寺院は大秦寺と呼ばれていたためである。ただしユダヤ人と他民族の同祖説は世界中に多数あり、遺伝子学的に否定されていることから、これは学会の通説とはなっていない。 

上記の様に、キリスト教の事について彼らは知っていたんでしょう。しかも聖徳太子は、一族の希望の星として生まれたんではないですかね。だから、メシア(救世主)の話をパクって語り継がれてきたんだと思います。お札💴にもなるくらいですから・・・。

秦河勝聖徳太子と共に行った業績の数々は、主に彼がやったのではないですかね。

それに、秦河勝の生誕と死没が分かっていません。彼も秦氏の族長的な人物ですし、そうであれば死没した日ぐらいはわかるはず。それが不詳になっている。一方で、「聖徳太子は存在しないのでは」と噂されたりもしています。なので、本当は秦河勝自身が聖徳太子だったのではと思います。

秦一族は、神社仏閣の建設や農機具、数々の色んな技術を持っていました。その腕をかわれて一族がのし上がってきたと言われています。

秦河勝自身が聖徳太子であれば、太子の伝説にある1度に10人の人の話を聞くことができる、というのも可能かと思います。実際は、10人の相談事を素早く解決出来る能力と技術を持っていたという事でしょうけど・・・。

先程の「ペルシャ椀」、色んな場所で見つかっていて、福岡県の沖ノ島

宗像大社(むなかたたいしゃ)でも見つかっています。

f:id:merkun:20190408205442j:image福岡・宗像大社:宝物8点公開 沖ノ島の世界遺産見通しで[写真特集8/8]- 毎日新聞

これらのペルシャ製品は、秦一族が持ち込んだものではないでしょうか。それは同時に秦一族が来た証拠でもあるんではないですかね。

彼らは、ペルシャ人でシルクロードを渡って来た。途中、敦煌(とんこう)も通るので、その時の絵を聖徳太子の自画像として取り入れた。ルーツは秦の始皇帝とあるので、中国を経由して日本にやって来たんでしょう。

聖徳太子が建てたとされる法隆寺。その一画に手水舎があります。


f:id:merkun:20190408132136j:image聖霊院前の手水舎】

全体がペルシャポット風になっています。

そして、京都市右京区太秦(うずまさ)にある広隆寺という秦氏の氏寺には、聖徳太子が神として祀られています。

これは、秦河勝自身が聖徳太子だったからという事じゃないですか🤓

では、本日はこの辺で😙