さて、今日は何を話そうか!?

この世の真実にたどり着く為の情報発信ブログ

仏教ってどうよ⁉️その1

お盆休みで時間の感覚がつかめません😅緩りと世間の皆様について行こうと思います❗

はじめに

日本人は生まれた時から身近に神社仏閣があり、先祖や親達が何の疑いもなく拝んでいたりする。果たして、先祖が信じていたから、親が信じていたからと言ってよく調べもせず信じて良いのだろうか⁉️

今日は仏教の教えよりも釈迦の人物像を追いかけようと思う。

私は仏教についてのしきたりや拝んでいる内容、教えの事はよく知らない。そう言う事での論議はよそでよく聞くので、今回は別の角度から知る事で見えて来るものがあると思うので考察して行く。

仏教は人の考えから出て引き継がれ、さらに国を渡って来る途中にその国で受け入れられやすい形に変化して続いて来たものであって、神の考えから出たものでは無い。

なので釈迦の生い立ちを書いた記事をもとに釈迦の人物像と仏教を読み解いていこうと思う。

当たり前だけど 忖度ありすぎ・・・だよね‼️

参考記事

釈迦は今から2600年前頃にインドの釈迦族の太子(皇太子)として生まれる。(皇太子は皇位継承者でもある)

そして、国王の浄飯王は太子の事を凄くかわいがりあげくのはては「見れば見るほど賢そうだ。さては将来大物になるに違いない、どんな立派な人物になるのだろう」と言って国一番の占い師アシタ仙人を呼んで占ってもらう。

仙人の予言は「私が見たところ、太子様は一目でただ人ではないと分かりました。

将来は、全世界を支配する伝説の転輪王(てんりんのう)となられるか、無上のさとりを開かれる仏陀となられましょう。
いずれにしろ、二度とこの世に現れないようなお方です。
しかも、どちらかといえば、私には仏陀(ぶつだ)になられるように感じます。・・・略」

その後も家庭教師に色々教えてもらいましたが、賢こすぎて家庭教師も教える事が無いから止めてしまうと言うエピソードが・・・。

と、まあ色々褒め称えています。

浄飯王もかなりの親バカぶりが伺えます❗

当然と言っちゃあなんですが、そもそも仙人が太子に無礼な事を言えるはずがないのは誰でも分かりますよねもし、太子に対して無礼な事を言えば殺されてしまいます。

だから、仙人が褒めたとしても凄い人物だったのかどうかは、この話でははっきりしない‼️🤔

国一番の美女と言われたヤショダラ姫も本当は美女かどうかも分からない。そんなところより家柄第一優先の世界ですから・・・。全ては一族の繁栄ありきです。(ー_ー;)

四季の御殿“などありとあらゆるものをゲット‼️

・・・太子の悩みは、浄飯王の考えていたことではなかったのですが、
普通、人が欲しいと思うありとあらゆるものを与えて尽くしてしまいます。

そしてついに浄飯王は、季節毎に一番快適に過ごせるように、
四季の御殿をつくらせ、500人の美女をはべらせて
太子を明るくしようとしました・・・。

四季の御殿凄んごいですね~😒しかも季節ごとって・・・💨💨💨

男の人はどう思うか分からないですが、女の私から見るとIKKOさんじゃ無いけど「ドン引き~😓‼️」

権力者は、先祖代々このような人生を送っていたんでしょうね。(まっ、どこの国の権力者も似たり寄ったりですけどね。)

王位継承を巡る争い‼️

権力者達は、日本の大奥のように本妻や側室がいてさらに側室候補も沢山いたと思います❗

浄飯王も本妻の間には釈迦だけだったかも知れませんが、側室などの間には多くの子供達👶も生まれたでしょう。そして毎日の様に次期国王の座を狙う陰湿残忍なバトルが繰り広げられたと思います😱

本妻の子とて安心出来ない、異母兄弟に命を狙われる立場である。異母兄弟の側近達も信用出来ないし、殺るか殺られるかでしょう。

常に回りは敵ばかりなので自分の身を守る為に幼い時から“邪魔者は消す“と言う考えが刷り込まれているんじゃ無いかな⁉️

釈迦とてそんな考えが無かったとは言えない‼️皇位継承権があれば尚更強く教育されていると思って間違いない‼️

表面上はあくまで穏やかに振る舞ってはいても・・・。( ゚ε゚;)

日本でも、壬申の乱が起きている。天皇家皇位継承を争う戦いだ。

私達庶民はたとえ貧しい暮らしでも継ぐものが無いから彼らの様な醜い争いは無い。

彼らの様な環境で暮らしていたら、どんな人物でも多かれ少なかれその様な思考に傾倒していく。

 

その一方で、何不自由のない生活を送れただけでも庶民からみたら結構な事だと思いますけどね・・・。

ただし、子供を育てた親なら分かると思うけど、わがままに育ちませんか⁉️なるでしょう‼️

釈迦は別格と思っている人も多いでしょうけど、今までのエピソードから見て彼だけは別格なんだと思わされている可能性は非常に高い‼️うのみにしてはいけません。

出家の動機が四門出遊

四門出遊

(しもんしゅつゆう)の話

東西南北の門の前で老人、病人、死人の葬儀に出くわして、生きていれば老・病・死の三苦は避けられないのに、誰もそれを自覚することなく日々を無為に生きていることを痛感します。
そして最後に北門を出たときに出家した修行者に出会い、その落ち着いた、清らかな足どりで歩く姿に感動し、自らも出家をしようと決意したといいます。

将来の地位も名誉も約束されていた釈迦であっても、老いと病いと死のためにすべてが裏切られてしまうという、はかない幸福では本当の満足は得られないと感じたと言うことらしいです。それで、その答えを求めて出家したという。

でも、ちょっと待って下さい‼️

恵まれているからこそ、その先の心配が生じるわけで恵まれていないその時代の人々は、老いと病いと死の不安もあると思うけどそれ以上にどのように生活したら生きていけるか、安定した暮らしが送れるかどうかという方に関心があるんではないかなぁ(・・?

むしろ、こんなに辛かったら死んだ方がマシと思ってる人さえいるだろうし、老人になれるまで生きているだろうか?と言うような生活をしていたんじゃない?

その時代の庶民は、自己満足よりも生きて行く辛さを何とかしたいと思っていたと思うけど・・・。

心の痛みより体の痛み、何とかしてぇ~って感じかな⁉️(^_^;)))

個人的な感想として、自分自身の満足を探したいと言う強い思いだけかな、と・・・。

それより国民には、国王になって自分達の贅沢な暮らしを止め、ぶんどり分を減らして国民に分け与え楽にしてあげた方が早いんじゃねぇ‼️と思うけど。

 

ちなみに仏教の言う“幸せ“とは安心と満足らしいです。

聖書に出てくる創造神の言う幸せとはちょっと違うようですね。

次回、この続きと聖書(創造神)の教えの違いを比べてみたいと思います。