さて、今日は何を話そうか!?

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神様とサタンの違い&学校で教わった縄文時代に関する常識が違っていた!!

目次

神様への捧げものとサタンへの捧げもの

こんにちは!

前回は、新国立競技場の工事現場👷から発見された人骨の話をしました。

これは、恐らく人柱であり人身御供(生け贄)だと言う事もお伝えしました。この行為は神道の儀式であり、神道が昔から悪魔崇拝をしていたと言う事です。

少なくとも旧国立競技場が完成した日、昭和33(1958)年3月の時点では、この様な儀式がまだ行われていたという証拠でもあります。人骨の年代を特定するにしても、今の時代にこの様な事を国(イルミナティも)としてはあまり表面化してほしくないだろうから、年代については曖昧にしておきたいのでは・・・。何せ、テレビで「日本は凄い国」とマスコミがイルミナティの代弁を気持ち悪いくらいしている国ですから・・・。

 

なので、前回の発見された人骨も詳しく調べたら、そう古くないものが混ざっている可能性もあると思います。

しかも、33年3月と言うのも、足すと9になるので、イルミナティの好む数字ですね。(回転させると"6"になる)尚更、怪しさがぷんぷん臭うんですが・・・。

神道ユダヤ教は、同じ神様だとしたい連中がいます。日ユ同祖論ってやつですね。日ユ同祖論は間違いないとしても、それが全てでは無いです。聖書には神様を信仰する者と反逆してバアルやアシュタルトなどのサタンを拝む者の話が書かれています。

大事なのは、「どっちを信仰しているか」ですよね。(見た目じゃ無いよ‼)

旧約聖書時代は、人類がまだまだ野蛮で動物よりも劣る数々の行為をしていたから神様の前に出る時は、動物等の捧げもの(犠牲)をしてからでないと神様に向き合う事が許されませんでした。

ついでに余談ですけど、犠牲の「犠」の字は牛や羊の下に自分(我)が身をかがめて捧げるという形から、「犠」という文字が出来たと言われています☺️

で、旧約時代は人類がまだまだ低レベルなので、儀式を行う事が多くありました(個人個人の祈りが重要なのは今も昔も変わりませんが・・・)。なので、聖書には当時のイスラエルの民がやらなければならない儀式のやり方が記述されています。だけど、記述に無いものはやっていなかったから載っていないという事です。

聖書の神様の捧げものに、人間の生け贄は無かった。神様は、人類と愛で結ばれたいと願って人類を創った。なので人類は神様と同じ形で尊い者として創られた。そんな人類を生け贄にする事は無い‼

と言う事は、裏を返せば人類を生け贄にする神とはサタンしかいないと言う事です。神様と人類との仲を嫉妬したサタンです。

こういう所からも神道の神とユダヤ教キリスト教の神は別物だと言う事が分かります。

確かに、旧約時代はイスラエルの民は敵と戦っていましたが、それは人類がまだまだ野蛮で動物的だったから、相手を殺さないと自分も殺られるという時代で生きていく為の術(すべ)だったから、その点については神様も許すしかない時代でした。

なので、旧約時代の人類は霊的な救いは貰え無かったけど、肉的な救いは貰う事が出来た。その代表がダビデという王様です。神様に愛され神様を一番に愛したダビデ王なので、肉的に栄えましたが、戦いで多くの血を流したので彼が神様の神殿を作る事は許されませんでした。

 

悪魔崇拝の儀式に欠かせないカニバリズム

で、元に戻りますが、悪魔崇拝者達が単に人を殺して生け贄にするだけではない事を過去記事でも伝えました。悪魔崇拝カニバリズムを切り離す事は出来ないと思われます。

カニバリズム

(英: cannibalism)とは、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは習慣をいう。食人、食人俗、人肉嗜食ともいう。

文化人類学における「食人俗」は社会的制度的に認められた慣習や風習を指す。一時的な飢餓による緊急避難的な食人や精神異常による食人はカニバリズムには含まず、アントロポファジー(英: anthropophagy)に分類される。また、生物学では種内捕食(いわゆる「共食い」)全般を指す。

第二代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)も人を食べていたという話をしましたね。

merkun.hatenablog.com

この「カニバリズム」や「人食い人種」という言葉、飢餓などの特別な理由が無く、人間を食料として食べる習慣や文化を持ったり民族を指すそうですが、儀式だけが宗教だと思うのは大きな間違いで、行動もその教えに比例します。(行動も宗教のうち)

なので、食人する行為自体が彼らの神への忠誠心を表していると・・・。

要は「彼らの信仰の作法」で、そんな事をさせる神は本物の神で無い事を現代人はそろそろ悟らなくてはいけないのでは無いかと思うのです。

 

ヨーロッパ
スペイン北部のアタプエルカ遺跡で発掘された「最初のヨーロッパ人」の遺骨から、この先史人類たちが人肉を食べており、しかも、とりわけ子どもの肉を好んでいたことが明らかになった。遺骨などの分析によると、食人は、儀式としてではなく食用で行われていた。当時、食料や水は豊富にあり、イノシシやウマ、シカの狩猟も可能であり、食料不足で食人が行われたのではなく、敵対する相手を殺し、その肉を食べたと考えられている

のちに、ヨーロッパでは戦争、飢饉、貧困、宗教的理由でカニバリズムは広く行われた。

(中略)

1274年にフォッサヌォーヴァ修道院で死んだトマス・アクィナスの遺体も修道士たちによって食されている。ホイジンガによれば、修道士たちは、当時高価であった聖遺物の散逸を恐れ、師の遺体を加工保存し、頭部を調理したとしている。

 

(聖遺物(せいいぶつ、羅: Reliquiae)は、キリスト教の教派、カトリック教会において、イエス・キリスト聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品をいう。)

 

アメリカ大陸では宗教的儀礼として広く人身御供が行われていた。また、戦争捕虜を食糧とする慣習も多く存在した。

アステカ帝国は国家レベルで食人を制度化していた稀有な国家であり、各所で発生する戦争や反乱で得た捕虜を首都に送り、食糧として消費していた。生きた状態の生贄から黒曜石のナイフで心臓を抉り取り、神に捧げ、体の部分は投げ落として切り刻み、トウモロコシとともに煮込んで食された。ただし、人肉を食すことが許されたのは上流階級のみだった。

 

アジア
飢饉や戦争における人肉食は他の地域と変わらないが、宗教儀式に人肉食が利用されるケースが特筆される。

 

インドではシヴァ教の一派であるアゴーリ(英語版)の行者が人肉食を行う。彼らは神通力を得るためにガンジス川から水葬遺体を引き上げ、その肉を食する。近年、撮影が行われた。

 

チベットでも、1930年代にシャンバラを標榜する宗教団体が信徒を御供にして人肉食儀式を行っていたという報告がある。

と、言う事で食人や人肉食儀式は世界中で起きている事が分かっています。

日本の"大森貝塚"でも、住民の墓地とは別に、貝殻捨て場には獣畜と同様に細かく砕いた人骨が発見されていることから、食人行為が行われていたものと言われています。

 

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大森貝塚

大森貝塚(おおもりかいづか)は、東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期 - 末期の貝塚。モース貝塚とも。

縄文土器の名前の由来は、アメリカの学者モースが大森貝塚を発見した折、縄文のついた土器にCode Marked Potteryと名づけた事から、呼ばれるようになったそうです。

で、この大森貝塚から、日本では縄文時代から既に食人文化があったという証拠が出たという事です。それは、その他の場所にある縄文時代の遺跡にも食人文化がある可能性が高いという事です。

 

縄文時代は、学校で教わった内容と大きく違っていた事が分かってきた!

で、その縄文時代が、今まで私達が学校で教えてもらっていた縄文時代の生活や文化に関する常識が根本的に違っていた事が分かったそうです。

縄文人は狩猟民族で各地を転々と移動していたと学校で教わりましたが、平成6年(1994)に青森県青森市三内丸山遺跡が発見されて、今までの説が覆される話へと発展しています。

江戸時代から見つけられていたそうですが、新しい県営野球場を建設する事前調査が行われ、この時この遺跡が大規模な集落跡とみられることが分かり、野球場を中止し遺跡の保存となったようです。

 

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特別史跡 三内丸山遺跡

三内丸山遺跡は、古くから土器がたくさん見つかることで知られ、古くは江戸時代の文献にも記録されています。
これまでの発掘調査で、主に縄文時代前期から中期(約5,500年から4,000年前)の大集落の跡や、平安時代(約1,000年前)の集落の跡が見つかっています。
特に、縄文時代の大集落の跡からは、数多くの竪穴式住居跡、大型竪穴式住居跡、掘立柱建物跡、大量の遺物が捨てられた谷(泥炭層)、大規模な盛土遺構、道路跡、大人の墓、子どもの墓、環状配石墓などが見つかりました。また、谷から見つかった動物や魚の骨、植物の種子や花粉から、当時の食生活や自然環境などを具体的に知ることができます。さらに、ヒスイやコハク、黒曜石が見つかったことにより、遠方との交易を、漆器は専門的な技術を持った人々が存在していたことを物語っています。
三内丸山遺跡は、縄文時代の人々の生活を具体的に知ることができる貴重な遺跡であり、国特別史跡に指定されています。

 

 

この三内丸山遺跡のお陰で、縄文時代の生活や文化を知る事が出来ました。今まで言われていたのと違って、縄文時代は高度な文明があった様です。

大きな建物は皆んなで共同しないと建てれないので大集落があったというのも確認されています。しかも1500年も続いた。

意外と知られていない事実に、世界で最初に土器を発明したのは縄文人で世界最古の縄文土器は、青森県の大平山元I遺跡から出土した物 。最新の年代測定法による分析の結果、なんと1万6500年前の物である事がわかっています。

1万6500年前と言う事は世界最古にあたる。 世界最古の文明が発達したとされるメソポタミアでさえ土器の歴史は1万年前ぐらいにしか遡る事は出来ないそうで・・・。

という事は、本当は日本が文明の発祥地の可能性もある訳です。それだけで無く、食人文化の発祥地の可能性もなきにしもあらず😑

彼らは狩猟もしていたそうですが、漁もしていたそうです。しかも、船をつくりかなり遠くまで漁に出掛けていたそうです。

では、本日はこの辺で🤔