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三つ巴と三脚巴
こんにちは!
前回、「三つ巴」のマークはケルト文化から発祥したという話をしました。
【三つ巴】
で、この家紋を使用していた西園寺家は藤原氏の子孫だという話をしました。(琉球王朝も使用していました)
藤原氏の子孫である公家の西園寺実季(さいおんじ さねすえ)が、自分の牛車に目印としてこの三つ巴模様を描いたのが家紋の起源と言われています。
【西園寺家牛車】
なので、彼らはそもそもそういうものを信仰していたからその様な家紋になったという事ですよね。
では、何処からこの三つ巴の柄を持ち込んだのかという事ですが、ケルト人の「三脚巴(さんきゃくともえ)」から伝わってきたのでは無いかとの事で、今回はケルト文化と日本が深い関係のある事を考察して行こうと思います。
ところで、三脚巴とはどういうものかと言うと、
三脚巴(さんきゃくともえ)は、伝統的な文様のひとつ。三脚巴紋(さんきゃくともえもん)、あるいはトリスケリオン(triskelion、)、トリスケル(triskele、)とも呼ばれる。3つの渦巻きの組合せか、膝を直角に曲げた足を3本、それぞれ120度の角度で、脚の付け根を中心とした風車状に組み合わせたもの(3回対称の回転対称図形)。三脚巴の螺旋形状はしばしば太陽紋に分類される。また、シチリアの三脚巴の中心主軸部が時にゴルゴンマスクかメデューサヘッドで脚が付く形状ではクトニオス(chthonic、冥府の神)の意味を示唆する。 Wikipedia
だそうです。
【古代ケルトのシンボル:三脚巴】
渦巻き(スパイラル)が3個集まったもの。太陽が当たる位置に描かれている事が多く、太陽エネルギーの象徴といわれています。その他にも意味をもっていて、成長や進化・復活の象徴でもあると言われているそうです。(ミトラ=バアルと同じですね)
膝を直角に曲げた足が3本あるというのが上記のもの。
ハッキリ言って気持ち悪い柄です🤮
右側のシチリアの三脚巴についている顔は、"ゴルゴン(3姉妹)"もしくは"メデューサ"(どちらも化け物です)との事。しかも、それが付いていると冥府の神という意味だとか・・・。
因みに、聖書の神は生きている私達の為に現れた神様。シチリアの冥府の神は冥府と言われるくらいだから死人の為の神だと思いますが、この世で何を説くというのでしょうか?(ホントはサタンだからこうなるんでしょう)ただ、薄気味悪いとしか思わないですよね。
【メドゥーサ】
(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオの1595-1596年頃の絵画『メドゥーサ』の細部。ウフィツィ美術館所蔵)
皆さん、"ゴルゴン"とか"メドゥーサ"をご存知でしょうか?ギリシャ神話に登場するサタンです。(そもそもギリシャ神話は、サタン達の日常を描いた神話です)
女王の怒りを買って怪物にされたと言われていますが、相手を怪物にする女王って何?と思いませんか?本人も相手もどっちもどっちで突っ込みどころ満載のギリシャ神話。
メドゥーサは、ギリシア神話に登場する怪物。ゴルゴーン3姉妹の1人である。名前は「女王」を意味する。姉はステンノー(「強い女」の意)、エウリュアレー(「広く彷徨う女」あるいは「遠くに飛ぶ女」の意)と呼ばれ、メドゥーサは三女に当たる。
宝石のように輝く目を持ち、見たものを石に変える能力を持つ。かつては見た者を恐怖で石のように硬直させてしまうとされていたが、途中から現在知られている形に解釈される。頭髪は無数の毒蛇で、イノシシの歯、青銅の手、黄金の翼を持っている(腰に蛇をまいた姿や、イノシシの胴体と馬の下半身になった姿で描かれることもある)。Wikipedia
こういうサタンが付いた紋章というだけでも、彼らの宗教は変なものを拝んでいるという事になりますね。(ハッキリ言って彼らはオカルティストです。きもい物が平気なんでしょう)
2019年1月6日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマ第58作「いだてん」というドラマ。
このドラマのロゴマークが下記。
先程のマン島の三脚巴と同じです。このロゴマークは横尾忠則氏が制作したそうで、彼はその意味を知ってて採用したんでしょうね、確信犯です。
これを見た視聴者が、ロゴが怖いからなんとかして欲しいと苦情を寄せてきたそうです。(敏感な人は察っしがつくんでしょうね)
大河ドラマ「いだてん」のロゴ「怖い」との声で差し替えも? - ライブドアニュース
本デザインを担当したのは、世界的なデザイナー・美術家の横尾忠則氏。確かに芸術性は高いと思われるが、やはり不気味に感じた人は多いようで、放送後には「『いだてん』のロゴ怖くない?」、「トラウマになりそう」との声が相次いでいるという。そのため、一部では既に、NHKに対し「ロゴをなんとかしてほしい」というクレームに近い意見が多く寄せられているといい、もしかすると、現状のロゴは放送途中から別なものに差し変わるのではないか、との推測もあるという。
【横尾忠則氏】
彼もイルミナティでありユダヤ人であり大本(教)系でしょうね。
アイルランドのケルト遺跡
アイルランドは、ケルト民族が先住民族を殺伐し乗っ取った国らしいです。
ニューグレンジとタラの丘 - 55歳からのアイルランド留学日記
アイルランドはヴァイキングや英国に奪われ続けてきたけれど、歴史をひもとくと、中央ヨーロッパから土地を求めて移住してきたケルト民族が、先住民を殺し、土地を奪い、自分たちの国家を築いたのだ。
Wikipediaにも、ケルト語派の言語を用いていたケルト民族が戦車等で渡来して来た事が書かれています。
ケルト人は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言語を用いていた民族である。Wikipedia
下図の様に、紀元前400年頃までには古代ケルト人はヨーロッパやアイルランド、イギリス等に散らばっていきましたが、殆どのケルト系の人は異国に吸収されたそうで、唯一アイルランドは、ケルト文化が色濃く残っている国となっています。
【ケルト人の分布】
現代におけるいわゆる「ケルト人」とは、残存するケルト語派の言語が話される国であるアイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、及びブルターニュの人々である(これにコーンウォールを加えることもある)。しかし、その5ヶ国の人々の中で、まだケルト系言語を使って日常的生活を送る人の数は30%程度を超えない。またアイルランド以外のケルト人の国は、より大きい異民族の国家に併合された上、本来の母語の話者が次第に減少していった。Wikipedia
ついでですが、ケルト神話を知る為の基礎知識としてアップされた動画に、ケルト民族がどんな民族なのか簡単に解説されているので参考として貼っておきます。
ニューグレンジ
アイルランドには、「ニューグレンジ」といって約5,000年前(紀元前3000年頃)に作られたと思われる巨大な古墳があります。
【ニューグレンジ】
その入口の巨石に渦巻きの模様が書かれています。
【ニューグレンジの入口】
入口の上方にみえる隙間は“屋根の箱枠”と呼ばれていて、ここから一年のうちで最も昼が短い冬至の朝日が、日の出とともに古墳内に差し込むらしいです。
太陽が最も低くなり昼間が最も短い冬至の日は、太陽が復活再生する日として祀られてきた。その日は、冬の間衰えつづけてきた太陽が息を吹きかえし、日一日と蘇っていく境の日であり、と同時に、人間を含む自然界で草木が芽吹き見られるように、新しい生命が誕生する日、死から再生する日でもあった。
復活再生するといえばミトラ神(バアル)。大湯環状列石と同じ円形ですね。
タラの丘
アイルランドにはもう一つ、「タラの丘」という場所があります。
丘の頂には鉄器時代の要塞跡が残されている。周囲長が1,000mほどあるこの要塞は「王の砦(Ráith na Rig)」と名付けられており、連結された円形の砦「コーマックの居城(Teach Chormaic)」と「王座(Forradh)」が有名である。
王座の中心部には「立石(Lia Fail)」(リア・ファル)が残っており、上王はここで即位の儀式を行ったと推定されている。円形要塞の北には「捕虜の墓(Dumha na nGiall)」と呼ばれる新石器時代の羨道墳(せんどうふん=部屋まで行くのに天井が低く狭い道の様になっている古墳)がある。Wikipedia
【上空から見た「タラの丘」】
大湯環状列石も上から見ると2つの円形がありました。
【捕虜の墓】
入口に続く通路は、毎年11月8日と2月4日に日光が差し込むよう設計されていて、ケルトの祭日と一致しているといわれています。ニューグレンジと同じです。
【捕虜の墓の中】
渦巻きが描いてあるのが分かります。多くの人骨も出ているそうです。この場所で生け贄の儀式が行われていたと推測出来ます。
【王座の立石】
大湯環状列石と同じ、日時計状の立石が有ります。本物は、まだ土の下に埋まっているといわれているそうです。(掘り出すと人骨なども出てくるんでしょう。なので、掘り起こしたく無いのかも・・・)
ヒンドゥー教と同じ様に男性器を表しているそうで、ミトラ=シヴァ神=バアルの象徴ですね。
イギリスのストーンヘンジ
イギリスにもケルト人の遺跡が遺っています。ここも円形となっていて大湯環状列石によく似ています。日本の山にあった巨石信仰とも似ています。
【ストーンヘンジ】
【イギリス】謎と不思議のストーンヘンジ観光の見どころ、行き方まとめ - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)
イギリス南部の町ソールズベリー郊外の平野にこつぜんと現れる巨大環状列石・ストーンヘンジは、紀元前2500年から紀元前2000年ごろ(4500年前から4000年前)に造られたといわれる有名な先史時代の遺跡です。
(中略)
古代の天文台、太陽崇拝の祭祀場、ケルト民族ドルイド教徒の礼拝堂といった様々な説が唱えられていながらも結論には至っていません。遺跡から遠く離れた山で切り取られたと推定される石が使われており、洗練されたデザインや独特の建築技術なども非常に興味深く、様々なロマンに思いを馳せながら観光するのも楽しみ方のひとつです。
1986年に世界遺産にも登録された、ヨーロッパ随一の巨石記念物ストーンヘンジは、直径100mもの円形状に立つ高さ4〜5mの30個の立石(メンヒル)と、その中央に配置された高さ6mを超える巨大な門の形の組石(トリリトン)5基を中心とした環状列石(ストーンサークル)です。
と言う説明です。
現在のストーンヘンジは、一度全部どけられて新たに復元された様で、世界文化遺産としては物議を醸すかも知れません。
ですが、こういうものを崇拝する者には好都合だと思います。
タダで修復されて世界文化遺産となり、永遠に自分達の聖地が守られる訳ですから・・・。
【ストーンヘンジと日本の鳥居】
日本の鳥居と似ていませんか?
つまり、海外版の古代神社って感じ。彼らの神への儀式が行われていた事は間違いないですね。
その石の下から5500年前の人骨が発見されたそうです。恐らく、生け贄儀式の犠牲者でしょう。
それをビジターセンターで展示しています。
さて、ここまでの話で彼らケルト民族の宗教と日本の仏教、神道は同じものを崇拝している事が分かってもらえたと思います。
では、本日はこの辺で。
【今週のお花】