さて、今日は何を話そうか!?

この世の真実にたどり着く為の情報発信ブログ

万葉集は朝鮮人が書いたもの。歌人の額田王・山上憶良・柿本人麻呂・山部赤人 は朝鮮人だった!!🙄

こんにちは😙

前回は朝鮮王族(李氏朝鮮)と天皇家の血筋についての関係をお伝えしました。安倍総理は、彼らの血を引いた子孫であり、日本の支配層は、ほぼ彼らの一族で占められています。

安倍総理が総理でいられる事の意味が分かったでしょうか?彼を総理にする事で一族の繁栄が今後も可能になるからです(利権を作り搾取するシステムを作る事で富が得られるようになります)。さらに、憲法改正をしてもっと優位に立とうとしている様ですけど・・・😑

で、もうひとつの朝鮮王族の子孫にあたる小泉家ですが、小泉進次郎氏も朝鮮王族の血筋でした。家系図から、安倍総理と親戚です。

 

先日、滝川クリステルさんと結婚の発表を首相官邸のエントランスで行ないました。


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首相官邸のエントランス】

後日、彼は、"首相官邸で話したのは結婚発表ではない"と言っていましたが、インタビューに答えて色々話している時点で、普通は発表と言うんですけど・・・😣

で、この様な話は私的な事なので、官房長官に挨拶に行くのなら、長官の自宅に挨拶に行くのが普通だと思います。相手の職場に行くのはどうかと・・・。例え記者に囲まれたとしても、"別の場所でお願いします"と断わるのが常識だと思います。場所が場所ですから・・・。なので、最初から、想定されたシナリオだったと思います。この件について、業界人も疑問視しています。

小泉進次郎&滝クリ結婚、会見で延々と“首相官邸を私的利用”に批判集まる

彼は、口もうまいし父親譲りの役者です。イメージ作りは、本当に上手です🤨

で、彼が首相官邸内でこの様なパフォーマンスをやらせてもらえるのは、他でもない安倍総理と親戚であって李王族の子孫だからです。しかも、政治家等の権力者の殆どが、彼らと同族だから・・・。

"安倍総理の後釜は彼の番だ"と言う、知る人ぞ知るパフォーマンスなのでは無いでしょうか⁉️李王族の血を引いた政治家は、安倍総理以外は彼しか居ない。彼がトントン拍子に出世出来るのも、李王族が日本を支配していて彼がその血筋を引いているからです。

安倍総理のインチキ政治が世間にバレてきて、そろそろ体制側も誰かにバトンタッチしないといけない風潮に追い詰められてきたんでしょうね。ネット界では、かなりの悪事がバレています。なので、安倍止めろコールも日増しに高くなっている様です。相変わらず、新聞やテレビ等のメディアは、報道しませんけど・・・。

世界でも、日本の政治とメディアのレベルの低さは天下一品の様です。

世界的な投資家のジム・ロジャーズが安倍総理に、「これ以上狂った行為は止めてください」と訴えたと一時話題にもなりました。


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https://www.moong.info/2019/08/19/jimrojars/

世界的3大投資家の一人、ジム・ロジャーズが日本の敗戦記念日の8月15日に「韓日経済の未来」テーマのテレビ放送で、安倍総理に向け「辞任して下さい。辞任する考えがないのであれば、これ以上狂った行為をやめて下さい」と訴え話題となった。

海外の投資家までが、問題視する政治って一体・・・。

前置きが長くなりましたが、今回のお話は「万葉集」。

万葉集』は、奈良時代末期に成立したそうで、日本に現存する最古の和歌集であり、日本の3大和歌集の1つ。さらに、万葉集の和歌はすべて漢字で書かれています(万葉仮名を含む)。

3大和歌集とは、万葉集(奈良時代)、古今和歌集(平安時代)、新古今和歌集(鎌倉時代)。古今和歌集新古今和歌集は、勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう:天皇上皇の命令によって編集された和歌集)だそうです。

万葉集」の特徴について、上手くまとめている方がいます。

万葉集は謎の多く残る歌集です。編纂の経緯など詳しいことはほとんど分かっていません。
集歌数はおよそ4500首! 時代は仁徳天皇(の皇后)から大伴家持(おおとも の やかもち)まで、詠み人は貴族から乞食まで。まさに万(よろず)の歌が収められた歌集なのです。

(中略)

その歌風はよく「素朴」の一言で語られたりしますが、万葉集の後期には繊細優美な歌も沢山あります。ただそれはいわゆる「和風」ではなく、中国文化の影響・憧れを強く感じさせるものです。引用

この謎の多い万葉集、明治以前まではあまり人気が無かった様です。その万葉集から、新元号の"令和"は採用されたと言っています。このブログでは、安倍総理やその周辺の人達が朝鮮王族の子孫ではないかと考察してきました。良くない事に、彼らは、現代でもその意識が高い系過ぎて日本人になろうとしていないのではないかと推測出来る行動をしています。(公的資金を日本の財政や国民の生活の事に使うよりも、自分達一族の私利私欲の為に使っている行動が目に余ります)

そう言う意味でも、この万葉集は、彼らにとって特別な物なのかもと思い調べてみました。

万葉集は、日本で書かれた最古の和歌集であり、全て漢字表記であり、成立した時代も759年(天平宝字3年)以後だと言われています。

高麗神社の高麗若光(こまのじゃっこう)達は、7世紀頃に日本に来ています。万葉集が読まれた時代には、既に日本人に混じって生活していた訳です。で、その万葉集は、"和風ではなく、中国文化の影響・憧れを感じさせる"と、この方は渡来してきた朝鮮人が書いたとは気付いていませんが、日本人とは違う何か違和感を感じてはいる様です。

他にも、この万葉集は、朝鮮からやって来た人達が書いたものでは無いかと考察する人がいました。

『万葉集』 『記紀』 と 朝鮮語

万葉集』『記紀』ができるころ、日本文化は桜花のごとく開花し、7世紀前後~8世紀前後頃のおよそ百年あまりの周辺に、とつぜん信じがたいほどの文化遺産を生みだしている。まさに新文化の集中攻撃にあったとでもいうべき日本歴史の突然異変である。当時の主な文化遺産をいくつかあげれば次のごとくである。「万葉集」「古事記」「日本書紀」「飛鳥寺」「法隆寺」「法隆寺釈迦三尊像」「薬師寺」「東大寺」「奈良の大仏」「唐招提寺」「懐風藻」・・・。世界史をひもとくとき、その国の政治・文化を新しくつくる人々は、その国の征服者・侵攻者・先進国からの渡来人であることがわかる。より高度な文化をもった民族の移動が、一気呵成に後進国の文化を高める文化異変は多くの国に認められる歴史的現象である。柳宗悦濱田庄司河井寛次郎らとの交流をはかりながら民芸の普及につとめ日本民芸館を創設)は、「飛鳥~奈良時代につくられた国宝、寺院、仏像、書画などは韓国の国宝とも言える」と語っている。

文字化された文学作品が皆目なかった日本に、とつぜん現れた『万葉集』『記紀』を介して、百花繚乱たる豊潤な言葉とその芸術性の高さから、常識的に言って、『万葉集』『記紀』の業は、何世代にもわたり、ハイレベルの言葉(口語)や文字(漢字)に血肉のごとく精通していた人々の子孫でなければなしえない業である。松本清張は「記紀・万葉・その他の古代文献は 新羅 百済高句麗 の言葉による」と述べている。

    

万葉集』『記紀』の言葉をみてもっとも驚くことは、使われている言葉のほとんどが現在の標準語にふくまれていることである。「雁鳴きわたる」「寒き夕べ」「野守は見ずや」「いさよう波の」「まず咲く宿の梅の花」など膨大な数の言葉が現在の標準語と同じである。これらの言葉をみて不思議に思うことは、これほど豊潤で含蓄のある膨大な言葉を、日本の原住民(縄文人)が使っていただろうかということである。

当時の社会環境から推測すれば、各地域の言葉は方言でしかなく、共通語があったかどうか疑問である。

仮にそれらが日本語の語源であるとしても、いろいろな矛盾が想定される。悠久の昔から堆積した日本古来の言葉が現標準語のルーツであるとするのには、縄文時代という不毛の時代を経過しなければならない。毛皮を着て穴居生活をし、狩猟生活に依存していた縄文人が、「まほろば」「衣の裾に取りつく」「我が恋おれば」「またかへり見む」「その旅人あわれ」などの言葉を知っていただろうか。このことは、縄文人にかぎらず弥生人についても言える。弥生人の90%以上が渡来人であったにしても、漢字を駆使できる人はいなかったのだから、『万葉集』や『記紀』を書ける人はいなかったことになる。

「万葉文化」と「縄文・弥生文化」の大きな格差は、言葉においても同じであったことを語っている。「縄文式土器」や「弥生式土器」と正倉院御物の「漆胡瓶(しっこへい)」を比較すれば、当時の言葉の落差がいかに大きなものであったかを推測できる。

 


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縄文土器


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弥生土器

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正倉院宝物】

完成度が全然違いますね☺️

 

豊富な言葉と漢字に精通し、大和朝廷にかかわっていた人々でなければ、『万葉集』や『記紀』を書くことができるはずがない。万葉集(7世紀~8世紀)』『古事記(712)』『日本書紀(720)』が書かれる以前、漢字表記による文学的な作品がひとつもないのに、突如として生まれたこれらの文献は、執筆するに値する才覚者が7世紀~8世紀を中心とする百年余りの周辺にとつぜん出現したことを意味する。画家の平山郁夫と日韓文化交流会議の代表をつとめた金容雲(キム・ヨンウン)は、「奈良時代における百済人の渡来がなければ『万葉集』は生まれなかったであろう。『万葉の歌聖』額田王(ぬかたのおおきみ) 山上憶良(やまのうえ の おくら) 柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ) 山部赤人(やまべ の あかひと)は朝鮮人である。」と語っている。また、権叉根(クオンウダン)・国弘三恵などは「万葉仮名は朝鮮の吏読(りとう)表記と同じである」と述べている。

 

(吏読とは、漢字による朝鮮語の表記方法の1つである。「 吏書」、「吏道」、「吏刀」、「吏吐」などとも呼ばれる。 三国時代に始まり、19世紀末まで用いられた。 )        

いましたね!万葉集は渡来してきた朝鮮人が書いたものであり、万葉歌人で有名な、額田王(ぬかたのおおきみ)、山上憶良(やまのうえ の おくら)、柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ)、山部赤人(やまべ の あかひと)達は朝鮮人だ、と言っている人達が・・・。

弥生人の90%が渡来人だとしても、高麗若光以前からいる日本の人々は万葉集を書けるほどの知性を持っていなかったという事です。しかも、当時、教養のある人物と言えば渡来人で貴族や王族並の人達。

そうであるなら、安倍総理達が日本最古の和歌集にこだわる理由が見えてきました。

では、本日はこの辺で☺️