さて、今日は何を話そうか!?

この世の真実にたどり着く為の情報発信ブログ

「上杉謙信は女だったのかも・・・」との噂があるけれど、謙信は男だったと思うわけ🧐

こんにちは☺️

前回は、古来から伝わる日本のエロい黒歴史をつらつらと書かせて頂きました😅

では、この武士の「衆道(しゅどう)」、何故、武士の世界では「武士のたしなみ」とまで呼ばれ推奨されて来たのでしょうか❓

戦場に女性を連れて行けないから、その代わりに連れて行く為とか言われたりしている様ですが、戦いの中、そんな余裕があったのでしょうか❓それとも他に理由はなかったのでしょうか❓

仏教(神道も明治まで神仏習合なので同じです)の稚児灌頂(ちごかんじょう)制度にしても、僧侶ともあろうものが、何故こんな乱れた風習を続けてきたのでしょうか❓どう考えても、単なる趣味とは思えません。

昔の僧侶は、独身を貫き通さないといけないから、女に手を出すのはいけないが、男だったら構わないのでその様な風習が出来たとも言われているそうですが、そんな単純なものでしょうか❓男だったら罪が無いとでも言うんでしょうか❓どう見ても人の道を説く僧侶が、性的児童虐待を行ってるっていう様な絵面(えづら)にしか見えないんですけど・・・😓

普通に考えると理解出来ないですよね。

いくら流行だったとしても、武将でも簡単に真似の出来るものではないと思います。

あの有名な上杉謙信も、生涯独り身を貫き通したそうで・・・。一説には、「女だったのでは」との噂もあるようですが、彼も男色(だんしょく)をしていたらしい事がわかっています。

謙信は、寅年に生まれたことから、幼名は虎千代と言いました。(長尾虎千代(幼名)→景虎(初名)→上杉政虎→輝虎→不識庵謙信)

"謙信"という名は、さらに後に称した法号(戒名=仏教において受戒した者に与えられる名前)だそうです。

虎千代は7歳になると、春日山城(かすがやまじょう)下にある林泉寺(りんせんじ)に預けられました。

結構やんちゃだったとはいえ、小姓として寺にお世話になっています。たとえ自分が色小姓であろうとなかろうと、寺で皆と同じ釜の飯を食べている訳ですから、稚児灌頂の事も衆道の事も見たり聞いたりして教わっていると思います。

参考

(中略)

さらに前嗣は、「謙信が若衆を大変好んでいることは聞き及んでいる」と述べている。そんなことから前嗣は、以前から謙信の若衆好みを知っていたのであろう。

(中略)

また、謙信はこの上洛(じょうらく=京都に入る)で、近江・守山(現在の滋賀県守山市)の土豪河田氏の子であった岩鶴丸(河田長親かわだ ながちか)を見初め、越後に連れ帰り、側近として仕えさせてもいる。岩鶴丸は『上杉家御年譜』に「容貌佳麗(ようぼうかれい)にして」とあるように、当時10代の美しい少年であった。

(中略)

つまり、長親と謙信との間には「絶対に裏切ることのない関係ができていた」からであり、それは謙信と長親が男色関係にあったからだとされている(『定本上杉謙信』より)。

(中略)

また、この河田長親(かわだ ながちか)と同じ近江出身の鯵坂長実(あじさか ながざね)、吉江資堅(よしえ すけかた)も謙信の側近を務めているが、これも長親同様に謙信の好みであった可能性が高い。

これらの事実を重ねてみると、謙信は女性よりもむしろ美しい若衆を好んでいたのではないかということがおぼろげながら見えてくる。そして、それが結果的に女犯というどこか宗教的な潔癖さをもった謙信のイメージにつながっていったのではなかろうか。

と、男色をほのめかしている。

で、 謙信が女ではないかと言われたもうひとつの理由に、毎月10日前後になると腹痛があるとして、合戦中にもかかわらず兵を引いて城に引き篭もっていたという話が残っています。

上杉領に北条軍が侵攻してきたときも、6月11日から腹痛を訴えて10日ほど城に籠り、出陣もせずに子守りをしていたとも言われています。

死亡時に、急死したらしく厠(かわや=トイレ)で亡くなったとか・・・。 天正6年3月13日と、13日に亡くなっている。(やはり、10日に近いですね)

しかも、この数字を全部足すと13になります。6+3+1+3=13

何となく不吉な数字ですね。(ジェイソンを思い出すのは私だけ⁉️)←映画「13日の金曜日」🤭

で、死因が、脳卒中ではなく、腹痛と書かれている資料もあるんだそうで・・・。

これらの事を考慮すると、先程の男色の記事から、性病か何かのバイ菌もどきにやられていたのではないかと想像出来ませんか❓

腹痛って、その辺りがやられると起きるんではないでしょうかね😓しかも、しょっちゅうとなると、慢性的に下腹部周辺の内蔵が菌などで侵されていた可能性も捨て切れないと思うんですが・・・🧐


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彼は熱心な仏教徒だったらしいです。謙信という名も上に書いたように法名ですし、彼は、度重なる家臣同士の領土争いに疲れ、27歳の時に一度出家、隠居をし、ひとりで高野山に入っているそうです。

さらに、自分は毘沙門天の生まれ変わりだと信じていたらしいですね。

昔の皇族、貴族、武士、僧侶に共通するものとして、皆何かしらの宗教を拝んでいましたし、男色の文化もありました。イスラエル(ユダヤ人)でも、聖書に神殿男娼の記述がありましたし、実際、神様に背教(はいきょう=信仰を捨てること)した王様が、異教の神を拝み、神殿男娼を黙認していた事が書いてあります。

で、ヒンドゥー教自体が、淫乱な宗教ですし、シヴァリンガを祀って拝んでいましたね。

merkun.hatenablog.com

仏教は、その教えを引いてますし、男色は、ヒンドゥー教のシヴァリンガ崇拝そのものではないかと思います。それを、知らずとやっていたのではないかと思うんです。しかも、毎月決まった日があったと思います。それが毎月10日辺り。その様な男色により、リンガ信仰をしていたんだと考えられます。仏教の熱心な信仰者だから、具合が悪くなるのも覚悟のうえ毎月やっていたんでしょう。

で、謙信は、晩年には真言宗に傾倒し、高野山金剛峯寺法印で無量光院住職であった清胤(せいいん)から伝法潅頂(でんぼうかんじょう)を受け阿闍梨権大僧都の位階を受けている。 

(要するに、伝法潅頂によって、密教の奥義がすべて伝授されるそうです)

では、なぜ空海が広めた真言宗が広まったのでしょうか❓

真言宗は、空海長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。教王護国寺東寺真言宗総本山)を真言宗の総本山としている。(嵯峨天皇から東寺を給預(きゅうよ)された。この時から東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場となった。) 

上に書いた様に、真言宗(真言密教)の総本山が、国家鎮護(ちんごこっか)の寺院になったという事です。(鎮護国家(ちんごこっか)とは、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想である)

では、何故、嵯峨天皇空海に東寺を給預するに至ったのかですが、大同5年(810年)に、平城(へいぜい)上皇嵯峨天皇とが対立(薬子の変=くすこのへん)した時、味方に付いていたのが空海

嵯峨天皇は、空海が祈ったことによって勝利出来たと思い、東寺を空海に・・・。(空海が祈ろうと祈りまいと、どちらかが勝つんですけどね😑)

ここから、空海の広めた真言宗の方が最澄の広めた天台宗より有利になったようです。なんせ天皇のお墨付きで、国家の宗教になったんですから・・・。教えが素晴らしいとかどうのこうのではなかったんですね。

で、その真言宗は、顕教(けんきょう)と密教という教えの2本立てになっています。

顕教
衆生を教化するために姿を示現した釈迦如来が、秘密にすることなく明らかに説き顕(あらわ)した教え。
密教
真理そのものの姿で容易に現れない大日如来が説いた教えで、その奥深い教えである故に容易に明らかにできない秘密の教え。

と、こう書いてある。ぶっちゃけ、顕教は良い教え、密教は悪い教えと解釈すると分かり易い。そもそも、歓喜天でも分かるように良い人(十一面観世音菩薩)と悪い人(ガネーシャ)の組み合わせのように、必ず善悪で一つの教えになっている。その両方があると言うだけでなく、両方しなさいと説いているように見えます。もしくは、悪を受け入れる為に善を教えて安心させる、その後、得意の方便でもって悪を教える。

(方便=仏教において、衆生を教え導く巧みな手段や、真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教えを意味する仏教用語)

merkun.hatenablog.com 

真言宗のお経の中に「理趣経(りしゅきょう)」というお経があるんですが、どんなお経かというと、

参考

理趣経』は、男女の肉体関係によって高い境地に達することができるという大変な誤解を招く危険な内容を含んでいます。

(ここまで書いていて、密教が卑猥(ひわい)な宗教だと全く疑わず、崇高なものだと信じこんでいる人もどうかと思います)

と、こんな事を言われているお経です。で、どんな内容かと言いますと、

正式名称『般若波羅蜜多理趣百五十頌』(はんにゃはらみったりしゅひゃくごじゅうじゅ)

「十七清浄句」

1妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
2慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
3觸淸淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
4愛縛淸淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
5一切自在主淸淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
6見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
7適悅淸淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
8愛淸淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
9慢淸淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
10莊嚴淸淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
11意滋澤淸淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
12光明淸淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
13身樂淸淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
14色淸淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
15聲淸淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
16香淸淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
17味淸淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である

このように、十七清浄句では男女の性行為や人間の行為を大胆に肯定している。

とこの様な内容となっています。

これが、真言宗のお葬式でも読まれるそうですよ。(ちょっと、引きますな〜😒)

では、本日はこの辺で☺️