さて、今日は何を話そうか!?

この世の真実にたどり着く為の情報発信ブログ

シヴァ神と牛頭(ごず)天王は同一神、そこから見えて来るものの正体🤔

こんにちは😊

またまたシヴァ神のお話。彼の話は尽きませんね。

さて、天神信仰に牛🐮を切り離す事は出来ません。天神信仰とは、以前にもチラリと取り上げた、菅原道真を祀る神社⛩️の(信仰の)事。(シヴァ神が、日本ではどういう扱いになっているかっていう話です☺️)

 

merkun.hatenablog.com

天満宮天満神社、天神社、菅原神社、北野天神社、北野神社などという名称で、九州や西日本を中心に約一万社(岡田荘司らによれば3953社)あって分社の数は第3位らしい。Wikipedia

 

f:id:merkun:20190308135852j:plain
f:id:merkun:20190308154746j:plain
左:北野天満宮    右:撫(な)で牛

 

 菅原道真と牛🐄との関係なんですけど、Wikipediaによると

「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。これにより牛は天満宮において神使(しんし=祭神の使者)とされ臥牛(がぎゅう=伏せている牛)の像が決まって置かれている。

と、書かれています。天満宮は、菅原道真が祭神だと言いつつ、実はシヴァ神を祀って拝んでいる事が、このブログを読まれている方には分かると思います。菅原道真は、所詮、私達と同じただの人間でした。亡くなったからと言って神になれるものではない事ぐらい、現代人なら誰でもわかる。

シヴァ神のヴァーハナ(乗り物=主たる神を象徴するもの、神の性質の一部をなすものとして機能)は、牛でした。そして、その牛🐄は、神の性質の一部でもあります。

さらに、清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神(らいじん)と結びつけられていた事もあり、雷神とは、前身がインドラだったシヴァ神の事です。天神信仰は、どこまでもシヴァ神に関連付けられて構築されています。

さて、その牛🐄の像が置かれている神社⛩️なんですが、天神さん以外にも牛の像が置かれている神社があります。当たり前ですが、日本全国、津々浦々、寺社仏閣は、ヒンドゥー教の影響を受けているのでシヴァファミリーだらけです。

で、これでもかと言わんばかりの牛の像が置いてある神社があるんですよね。

f:id:merkun:20190308165514j:plain
f:id:merkun:20190308170418j:plain
田倉牛神社(たくらうしがみしゃ)

f:id:merkun:20190308164327j:plain

 

岡山県の田倉牛神社(たくらうしがみしゃ)という神社⛩️なんですけど、境内(けいだい)には牛の像や置物が10万体とも20万体ともいわれ奉納されています。本殿も無く神主も居ないらしく、たくさん積まれた小さい牛のピラミッドの向こうに置いてある大きい牛の像等を拝むらしい。っていうか背後の山⛰️を拝んでいる、山岳信仰というものでしょう。

山岳信仰は、もともとが自然崇拝のアニミズム的信仰から発展してきただけに、江戸末期まで神仏習合の形態を取ってきたが、神仏習合が明治以後の神仏分離令により禁止されて以後、もともと真言密教系の修験が強かった出羽三山も含め、寺と神社が分けられ、信仰の本体の多くは神社の形態を取って存続した。

こう言う理由で、真言密教系(仏教)の要素が強いので、神主も本殿も無いってことですね。

で、地元の人は何故、牛🐄が沢山奉納(=供え物)されているのか分からないらしいですが、看板にある由来を簡単に説明すると、

江戸時代の岡山藩が農業振興策の一つとして、農家に牛を飼うことを推奨し、各村に一カ所ずつ、神様をまつる祠(ほこら)を設けたことが一因とされている。村人たちは、農耕牛の健康を神社で祈願していたという。トラクターなどない時代、牛の健康は農作業に大きな影響を与えていた。
田倉牛神社は、徐々に”農耕の神として信仰を集めていったそうです。

という様な事が書いてありますが、祭神は、渡来したと伝えられている牛頭天王(ごずてんのう)って看板に書いてあるし・・・。牛🐮が関係する神社なんだと気付きます。

Wikipedia牛頭天王には、その容姿について以下の様な説明文。

『簠簋内伝(ほきないでん)』では黄牛の面を頭につけ、斧と羂索(けんさく=鳥獣を捕らえる罠のこと)を持った忿怒相(ふんぬそう)としている。

一面四臂(ひ)で人びとを手づかみでいたぶったり、踏みつけたりしている図もあるが、単に左手に宝珠をいただくだけの簡素な立像もあって、多種多様である。

石像は必ずしも多くないが、地域によっては馬頭観音との対比から牛の神として信仰されているところもある

と書いてある。(説明が多くてすいません😣💦⤵️)

シヴァ神が怒(いか)ると、マハーカーラという忿怒相になるし、インドのヒンドゥー教では、牛は食べてはいけない。ある意味牛にとっての守り神でもある。

シヴァ神は、雷神だから雨を降らせる。その為、稲が成長し豊かに実を実らせると考えられていて豊穣の神とも言われている。これらの事から、シヴァ神と同一ですね。

牛頭天王は、シヴァ神以外の何者でもない。この牛頭天王は、祇園祭で有名な八坂神社の御祭神でもある。しかも、牛頭天王とスサノウノミコトも同一と分かっている。

シヴァ神=牛頭天王=スサノウノミコトって事ですね。


f:id:merkun:20190309172608j:image

東京・向島の牛嶋(うしじま)神社(もと牛御前社)は、牛頭天王を祀っていてスサノウノミコトを祭神とする格式の高い神社⛩️だそうで、本所(東京都墨田区)総鎮守の神社であるそうです。そこの逸話を紹介します。

○逸話「牛御前(うしごぜん)」
平安時代の武士、源頼光(みなもとよりみつ)の兄弟に、牛のような子が生まれ、牛御前と呼ばれた。父(源満仲)は、此の子を嫌い、須崎と云う女官に殺すよう命じた。しかし、須崎は娘を哀れに思い、山中で密かに育てたのである。牛御前は凄まじい腕力をもち育ったが、ふとした事から、娘の生存を知った父は激怒し、頼光に討つように命じた。父の裏切りを知った牛御前は、恨みの果てに牛鬼となり、関東に下って鬼の国を作ろうとした。しかし、源頼光と四天王(渡辺綱など)らは、関東に追い、牛御前を追いつめた。牛御前は隅田川に身を投じ、巨大な化け物となり、辺りを水没させた。死後、牛玉という玉を残した。今も社宝として牛島神社に納められていると云う。

又、この辺りでは、本所七不思議という、江戸時代ころから伝承されている奇談・怪談話があり、多くの人に知られているそうです。日本では、昔から神社仏閣にいるサタンを神様と思い込んで拝んだりしている(残念なことに現在もですが😓)んですから、こういう怪談話などが全国的にあるというのも全然不思議な事でもないんですよね。うれしい事だといいんですけど・・・😣

余談ですが、去年の台風24号(9月30日)で鳥居が倒れたそうです。ここの鳥居は、全国的に珍しい三ツ鳥居(左右に小さい鳥居がついている)でした。

f:id:merkun:20190310112933j:plain
f:id:merkun:20190310112958j:plain
向島の牛嶋(うしじま)神社 
左:before  右:after

で、逸話にある牛御前こと牛頭天王は、「牛のような子」という事から、その容姿は首から上が牛🐮のようで、体が人間と想像出来ますね。

実は、そのような容姿をしている者が聖書にも載っているんです。バアルと呼ばれるサタン。しかも、そのバアルはシヴァ神と同じように残虐非道、しかも淫乱。イスラエルの民が、聖なる神様に背いてせっせと金の子牛の像を作って拝んでいた神がバアル。

バアルは、イスラエルの民達に以下のような事をさせていたんです。

旧約聖書 列王記下  17章 15ー17

そして彼らは主の定めを捨て、主が彼らの先祖たちと結ばれた契約を破り、また彼らに与えられた警告を軽んじ、かつむなしい偶像に従ってむなしくなり、また周囲の異邦人に従った。これは主が、彼らのようにおこなってはならないと彼らに命じられたものである。
彼らはその神、主のすべての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、
またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。

イスラエルの民(ユダヤ人)達は、聖なる神様から禁じられていたことをことごとく破ったんですね。例えば子牛の像を作って偶像崇拝したり、天の万象(太陽、月、星、宇宙など)を拝んだり、自分の子供👶👦👧達を生け贄として火あぶりにして捧げたり、占いやまじないなどの悪行をやりつくした。自分達をこの世に送り出してくれた神様に対して後足(あとあし)で砂をかけていったんです。酷いでしょう。

悪魔崇拝をすると、自分が自分で無くなるんでしょうね。サタンが体に取り憑いて、人間サタンとして働く様になるんです。悪を悪とも思わなくなる。なので、最後は全て剥ぎ取られて地獄に突き落とされる。その様な悪魔バアル😈を人々が信じた。

愛する者達(人類)を地獄に連れて行かれない様に、とうとう神様は悪人退治する事に・・・。

有名なノアの洪水なども、多くの人々が悪を行った結果、悪人が蔓延(はびこ)る世界になってしまった。

これ以上、バアルの犠牲者が出るのを憂いた神様は、人類が悔い改める事をずっと待っていたんですが、悔い改める人も少なかったんでしょうね。人間は、今までやって来た事を急に変える事が出来ない人が非常に多いです。特に中高年以上の人は要注意です。

神様は、善人の多い世界に戻しようのない所まで行きつく事が予想されたから、洪水を起こしてリセットされた😱悪人は、天国に入れませんからね・・・。

「神様だって酷い‼️」と思った人もいるかも知れませんが、もし、これがなかったら、人類は極悪非道の悪人達によって滅亡させられていたかも知れません。今頃、地球🌏は、もぬけの殻ってな事になっていたかも知れません。

もちろん、愛の神様だから、人類が悔い改めて悟るのをずっと待っていたんですけどね・・・。

ノアの周りの人々は、ノアのいう事に聞く耳をもたなかったんです😢

では、本日はこの辺で😙